出産のハナシ—出産レポ
早いもので出産から2週間が経ちました。
退院したとき2700g弱だった体重も3000g近くに増え、顔がまるっとしてきました(笑)
ワタシは10キロ増量して7キロ減。顔もお腹もまるっとしたままなのはなぜかしらー。
忘れないうちに出産のハナシを書いておこうと思います。
長いのですがよかったら読んでください。
1月17日午前7時57分、誕生。
2800gの男の子。
16年前なら阪神大震災発生直後だ。
あの日のことは今も鮮明に覚えている。
発生の瞬間は震源から離れていたこと(三重県)もあって夢うつつだったけど、自宅の自分のベッドの上で聞いた地球の中心から響いてくるような地割れのような地響きの音が今も忘れられない。
ちょうど8時前に起きてテレビで見た倒壊した阪神高速に茫然としたことも。
まさにその瞬間の16年後に出産していようとは思わなかったけど。
あの時もきっとお産中の人がいただろう。
どんなにか怖かっただろうと思うと…
長いです↓
お産は安産だった。少なくても初産婦平均よりかなり早かった。
寝入りばな0時15分に大量に破水。
よく破水か尿もれかわからないとか聞くけど、尿だってこんなに出ないってほど流れ出た。ズボンもトイレも水びたし、いや羊水まみれ。
それでもお腹はまだパンパンだし胎動は感じないし陣痛らしき微かな痛みがあるだけだけど、とりあえず病院へ(道中タクシーが慣れない雪道でつるっとスリップしたり。だって大阪では雪なんてめったに積もらないから。)。
「破水ですね(と言ってる間にもさらに大量流出)、子宮口も3センチあいてます、入院です」と言われて陣痛室へ通され、病衣に着替えて心配して待機するという 両親に帰ってもらったのが午前2時。
まだ本格的な陣痛になるかわからないという気が遠くなりそうな出だしだったので、助産師さんにいわれるまま足湯やローリングチェア(前屈みの姿勢)やあぐらの姿勢などお産が進みやすくなると言われればなんでも試した。
陣痛は5分間隔で続くようになるもののあまり強くならず持続時間が短い。
午前4時頃、子宮口6センチ。
よつんばいの姿勢を試すうちに陣痛の間隔が遠退き、休憩することに。
陣痛の間、しきりに「腰が痛いですか、なにか押される感じがしますか、いきみたいですか」ときかれるもこの時点までは全くなかった。
午前5時半か6時前になって強い陣痛に襲われる。
なにかでそうな、勝手に力が入ってしまう瞬間(いきみ)が混じる。
6時半にだんなさんより始発の特急に乗ったと電話があり、このときは「どう?」と聞かれて「痛い」と冷静に応える余裕があった。
しばらくして母がきた。
もう母の相手をする余裕はなかった。
それからたてつづけに強い陣痛がきたように記憶している。
子宮口全開大、7時すぎ、展開の早さに驚いている母を尻目に分娩室へ。
「陣痛がきたらいきみましょうねぇ」と言われたものの、いきみかたがよくわからない。
とりあえずふんばってみたら「顔だけいきんでる」といわれて悲しかった。
そのとき今こそヨガやら吹奏楽で鍛えた腹式呼吸だと思い出して腹に力を入れてみたら、「そうそう上手♪」と言われる。
ワタシひとりに対し 5・6人の医師やら助産師がいたのだが拍子抜けするほど緊張感のない現場だった。
そうはいっても、陣痛の持続時間が短いので短期決戦なのは避けられないのだった。
7-8回いきんだ後、なにをどうやったのか知らないけれど赤ちゃんが取り出された。
いやなにをどうやったか…という点においてはひとつ確かなことがあって、ひとりの女の先生がゆったりとした口調で「そうそう上手よー♪」といいながらその調子とは裏腹に私の上に馬乗りになってお腹をぎゅうぎゅう押して赤ちゃんを押し出したのだった。
少なくとも「自力で産み落とした」って感じではない。
自分の中から出てきたとは思えないほど大きい赤ちゃんにびっくりしつつもカンガルーケアの間、胎盤出されたり縫われたり。
つか、陣痛より生むより縫われるのが一番痛かった気が。
私が入院する直前、つまり前日はお産が立て続けにあり分娩室はフル稼動だったらしい。
陣痛室も隣の声が筒抜けだし、分娩室に至っては、ひとつづきの部屋にカーテンで仕切られただけの分娩台が4台ほどある(自分のお産で分娩台へ移動中 に観察する冷静なワタシ)という、フル稼働時はさぞかし修羅場にちがいないという様相を呈していた。
私が分娩室から戻ると夜の間中空だった他の陣痛室は全て埋まっており、奇跡的にひとり静かにお産できたのだった。
まあ他の人がどんなお産をするのか興味なくはないのだけどさ。
それにしても無我夢中だからなのか記録していないからなのか、分娩の経緯というのは産後すぐでも記憶があいまいなのには驚いてしまう。
あんなに痛かったはずのに(つか今となっては、私は産後の便秘の方が辛かった気がするほどだ)、想像したよりは平気だったと思える自分がこわい。
やっぱりよく言うように「生んだ瞬間にその苦しみを忘れてしまった」んかしら。
なにより赤ちゃんが陣痛の間の心拍モニターで助産師さんも驚く元気さでいてくれたこと、陣痛が強くなるにつれ胎動も激しく元気であること外に出たいことを知らせてくれていたことがチカラになってがんばれたのだと思う。
始発で来てくれただんなさん(ちなみに週末を私の実家で過ごし日曜の晩の特急で福井に戻り月曜の始発でかけつけた)は誕生の瞬間には間に合わなかったけど、
二人で一緒に乗り越える方法もありだと思うけど、
私はあの生む前の苦しかった時間は一人でよかったと思う。
幸い助産師さんがつきっきりであったこともお産が短時間で進んだこともあるけれど、そばにいる人に配慮する余裕は全くなかったから。いやちがうかな、単に苦しむ姿を見られたくなかっただけかもしれないかな。
立ち会う覚悟でお産の流れも勉強してくれていただんなさんのその覚悟と始発で向かってくれているという心強さ、実家の家族の全力のサポート、みんなのその気持ちで支えてもらったと感謝している。
そしていまはホントにこの一言に尽きると思う。
無事生まれてきてくれて、ありがとう。
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