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2007.3.
25

発表会

クラリネットのソロの発表会が終わりました。
今年は、ラボーの「コンクールのソロ」をしたわけですが、40人弱の中に同じ曲の人が5人近くいてちょっと嫌でした。
だって音大生だっているし、比べられちゃうもーん。。。

本番は緊張したとかミスったとか、言い訳しても仕方ないので。
だって、それが今の私の精一杯であることにはかわりがないので。


それよりもこの発表会の練習の過程で得るものが大きかったと思います。
まず「演奏する」ことの意味を考えさせられました。
ただ譜面通りに吹くことだけじゃなくって、その音の連続が何を表現しようとしているのか、作曲者がいいたいことを読み取るような高度な技は私にはないので、
このメロディーに自分がどんな想いをこめてそれをいかに伝えるか、
吹くこと+魂をこめること=演奏する
なんじゃないかと初めて思いました。

もちろん譜面通りに吹けること(技術)が大前提でその次のステップで想いをのせることが初めて実現するわけですが、想いをのせる=表現する、伝えるということがいかに難しいかも痛感しました。
そしてそれを一発勝負の本番で発揮すること、練習の成果を100%出し切ることの難しさを身をもって体験しました。

この点で音楽もスポーツも同じなんだなと初めて気づきました。
いま美しさを競うフィギュアスケートの世界選手権やってますが、評価が技術力と表現力に分けられていることからもわかります。
技術だけでは美しく見えないのです。
なにかを伝える力=表現力が技術の上にのせられてこそ、本当に美しく見えるのだと思います。

選手が必ず言っています。
「練習の成果を出しきれるように滑りたい」
いまならその難しさと重要性がよく理解できます。
本当は本番の何倍も練習の時の方が美しく演技できているものなのです。
でも一発勝負だというプレッシャーと緊張によって、なかなか100%は発揮できないものです。
でもそれは皆、程度の差はあれ、同じことなのです。

また、本番前に集中すること。
演奏することに集中する。
またそれは自分だけの世界に入り込むことを意味するのではないでしょうか。
私はついつい他人からみた自分というものを意識してしまうから、なかなか自分の全てをさらけだすことができません。
やはり他人のことが見えなくなるほど自分の世界に入り込まないととても何かを伝えることなんてできないと思います。
平常心を保つため、雑念を払って自分の全てを見せるために集中することはとても大切なことだと感じました。

そんなことをつらつらと思ったら、去年まで上手だと思っていた人の演奏が少し色あせてみえました。
技術は音大生をしのぐ実力で、でも少し無表情だと思いました。
逆に音色と技術だけじゃない魂がこもっているという点でちがう人の演奏がよく見えました。
でもそれぞれ好みなので、だからいい悪いじゃなく、自分が目指す方向を見つける指標にするだけです。

まだまだ私には基礎練習が必要だと思いました。
基礎練習もただ吹いて指がまわればいいんじゃないということもよくわかりました。
この3ヶ月間、よく練習したのであとの9ヶ月ももっと精進しようと思った一日でした。


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