2002.4.
29

鳥羽[三重]鳥羽

2002.4.29〜30
春の鳥羽湾で遊覧船を貸しきっちゃいました!
そして優雅にに「戸田家」でお泊り♪

季節もよろしいので、温泉にでかけるか!
ということになり、GWの真っ只中に鳥羽に出発!
お宿は「戸田家(とだや)」。
新大阪で集合し、一路名阪国道を西へ!
伊賀上野で「忍者屋敷」に寄って、みんな大喜び。
と、いっても名張人だった私は行ったことあったけど。
「マイホーム いつか来た行楽地」とはよく言ったもので、
両親が「結婚するまえに赤目四十八滝(名張の有名な観光地)に来た覚えあるわ。」「あのときはまさかここに住むと思わなかったねえ・・・」
としみじみと言っていたのを思い出す。
ほほう・・・こういう感覚のことをいうのかと思って。
そしてさらに西へ!
夕方無事、戸田家に到着。
戸田家といったら鳥羽では有名な旅館で、私はそういう大型旅館に(自費で)泊まるのは初めてだったので超ワクワク。予約は幹事がインターネットで手配。
しっかし今や安いこと、インターネットって。旅行会社がいらなくなる日は遠くないと実感した瞬間である。


夜は食事と温泉を満喫して翌日、天気がよかったので遊覧船に乗ることにした。
しかしすごい客引きである。
4人組の私達の姿を認めるや、たーっとおっさんがバイクで走り寄ってきて、
「遊覧船のるならうちおいでよ。ほとんど同じ料金で4人の貸切だよ!」
などと疑いたくなるようなことを言う。
よくよく聞いてみたところ、本当に料金がほとんど変わらずに貸切にしてくれるとのことなのでそのおっさんの客引きにひっかかってみることにした。
天気がとてもよかったので風が非常に気持ちよかった。


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2001.12.
1

ハワイ

2001.12.1-5
テロ後のハワイは空いていると思ったのに、飛行機は満席。
でもホントに日本語よく通じます。汗)))



9月11日に起きたテロのせいでv1週間後に予定していたスイス旅行を泣く泣くキャンセルした私達は、戦況も安定してきたので、懲りずにハワイに行くことにした。「だって今年どこも行ってないようう。」

12月はバーゲンだし…・とはりきってハワイへ!こんな時期だから飛行機もすいてるに違いない、とふんだ私の予想に反してJAL78便はほぼ満席だった。
空港でのセキュリティチェックも非常に厳しくて、スーツケースも開けさせられて、「ハイ、これはなんですかあ?」と隅々までチェックされてしまった。金属探知機も感度があがってるのか、初めてひっかかった。これが噂の「ヒューズE」レベルとかゆうやつかあとか思ってさ。
トドメのように搭乗ゲートから機内へのチューブみたいな通路にも机を並べて持ちこみ荷物の検査をしているのには驚いてしまった。



関西空港から6時間。ハワイのホノルル空港到着!日本は冬だけど、ハワイは常夏。でも12月の始めは季節風の影響とかで風が強い日が続く。サンセットディナークルーズとかダイビングで船に乗ったけど、ゆれることゆれること。乗り物酔いする人はとてもかわいそうだった。

 
ハワイときたら、やっぱ、ハイアットよねえ、といいつつホテルにチェックイン。30階のオーシャンビューからの眺めはベリグ!目の前には青い海!とはいかなかった。雨季で曇っていたので。それでも目の前に広がる海と左手に広がるダイヤモンドヘッドの眺めは爽快。
ハイアットは確かに一流ホテルだったけど、商魂たくましく、何をするにもお金がかかるのよねえ。テレビを見るにも、ハイ○ドル。お茶パックもハイ○ドル。ミネラルウォーターも異常に高い。極めつけは部屋のセーフティーボックスにもハイ○ドル!!こうなると意地でも1ドルも使うかって気になってしまうわよ。
部屋も洗面所も広くて快適だったけど、パンフレットで見たような、オレンジ色のライトが雰囲気よくて…という私の想像は妄想に終わった。あれはやっぱエグゼクティブスイートとかじゃないとだめなのねってかんじ。



ハワイでの目的はただ2つ。ひとつはバーゲン。ほんとに50%引きとかいうのはざらでかなり大胆にバーゲンしていた。2日目に私達はアラモアナショッピングセンターっていうところへ出掛けていった。特にお目当てがあったわけじゃないけど、そこはでかくてウィンドーショッピングだけでも1日はかかってしまう巨大なモールだった。
私の友達はそこでクリスマスプレゼントだといってウィリアム・ソノマのやかんを買ったのだけど、帰りに空港であやしまれてしまって、包みを開けるといわれ激怒していた。幸い彼女は英語ができたので、「やかんだよー!!開けたら許さん!!」とか「元通り包めるものなら開けてみな!」などと逆上して嚇しかけたりしていた。
 そのあと市内へとってかえして、デューティーフリーへ行った。そこは店員曰く「消防法の規制で…」、商魂まるみえの複雑構造の売り場だった。いったん入ったなら建物中をぐるぐる巡り歩かないと出られない、設計者は誰だと敬服したくなるような免税店。まあセール中だったから許す。だがしかし、ハワイの人って誰も彼も日本語ぺらぺーらなのね。
あのよく観光地の人が話す「ヤスイヨ、ヤスイヨ」とか「コンニチワ」とかいうレベルの日本語ではない。これは、日本人観光客が来なきゃ大打撃のはずだわと痛感した。
 



そして2つ目の目的。それはダイビング。中学の頃からダイビングが夢だったので、思いきってダイビングにチャレンジした。レギュレーターをくわえて水中で息をするのは、見る分にはとっても簡単そうなんだけど、実際やってみるとこれが難しい。水中でも息ができる、という不思議な感覚が私を混乱さす。最初に船べりをつかんで練習させてくれるんだけど、水中に顔をつけても慣れるまでは、あれあれ息ができないよお…!?と混乱する。でも苦しくない…?あら、私息できてるわ!って感じ。それから耳ぬき。吸って吐いてえ、とこんな単純な息をするだけの動作にも一生懸命なのに、さらに潜るとき一定の間隔で耳抜きをせねばならない。インストラクターがその度に指示してくれるんだけど、もうこっちは必死である。しかもだいじょぶならダイジョブの合図を、だめならダメダメという合図をかえさなきゃならないのだ。それでもなんとか水深8mの海底にたどり着く。そこにはテレビとか水族館でしかみたことのない、きれいな魚がいっぱいいた。エンゼルフィッシュってゆーのかなあ?、黄色と黒と白のしましまのせびれのナガーイきれいなおさかな。
それとかすんごい大きなかめ!水の中だから実際よりでかく見えるのかもしれないけど、甲羅が30センチくらいはあった。感動、カンドーだあっ!絶対ライセンスとって、いつかこの魚たちの写真をとるぞー!!と心にかたく誓った私だった。




そして翌日私たちは機上の人となった。帰りもやたら飛行機は混んでいた。空港でのセキュリティチェックは相変わらず厳しくて、私の友人は例のやかんのせいで長いこと拘束されていたし、ミネラルウォーターをもったまま金属探知機を通過したら「その水を今ここで飲め」とか言われていた。…・。それってつまり、その水もあやしいってことよね?
こわー!!

ハワイのワイキキはこんな時期でも日本人だらけだった。日本人観光客が激減しているといわれているこの時期でさえ、これだけ日本人があふれているとなると、ピーク時はどれだけの日本人があふれかえっているのかと思うとぞっとした。でも同時にどうしてこんなにもワイキキを日本人が好むのかがわかった。少なくともワイキキにいる現地の人は日本語をネイティブ並にあやつる人がほとんどなので、外国にいるときの警戒感が和らぐのだ。加えて気候も温暖で、日本人が憧れるリゾート地としての条件を備えていると私は感じた。嫌味でなく、ワイキキはよいところ。ゆっくりステイしてダイビング三昧とかできたら最高だわ!


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2001.8.
15

キャンプ in 天川 

2001.8
仲間同士で初めてのキャンプ。
なんちゃってキャンパーなので、火のおこし方もわからない始末。
包丁も懐中電灯も毛布さえ持ってなかった私達の珍道中。

初キャンプ
学生時代のサークル仲間で毎年サマーキャンプ、略してサマキャンに行っていたのを懐かしく思って久しぶりに卒業した仲間たちが集まってのサマキャン!
しかしサマキャンとはいっても実際は民宿に泊まっていたのだが今回はムボーにもまじキャンプ。
天川村というところのキャンプ場へいざ出発!
・・・とはいうものの、「天川?」って「あまかわ?てんかわ?どっちだろう」と真面目に考えちゃう何もしらない私達。
珍道中になること間違いない出発だった。


てんと
車2台で行くはずが1台が渋滞にはまって集合場所に2時間以上こなかったので、私達は1台のセダンに6人がぎゅうぎゅうに詰まって出発することにした。
しっかし出発からまぬけな私たち。
後部座席に男2人、女2人ががぎゅうぎゅうなので、私は高速を走りながらドアが圧迫されて開いちゃうのではないかしらと心配だった。

予定に遅れること2時間、すでに午後3時半をまわっている。
キャンプ場の夜は早い。
なんてったって電気がないんだから、日没までにすべてを済ませちゃわないといけないわけで、私達が着いたときにはもうみんな夕食作り真っ最中。
そんな中、包丁も毛布も懐中電灯さえもっていないど素人集団の私達がテントを張るのをキャンプ場の管理人さんが手伝って下さった。
いや管理人さんが手伝ってくれた、というレベルではなく、私達が手伝った、と言うほうが正確かもしれない・・・
あとから考えたら毛布も懐中電灯も必要なことくらい簡単に思いつくのだけど、なんせ私たちは食料調達!だけが使命みたいに思い込んでいたので、食料だけしかなかったけど豊富にはあった。あと花火。

しかし材料だけあっても火がおこせなーい。
誰もタバコを吸わないので火さえもなーい。
ここまでまぬけな状況になると、「ライター貸してください」の一言すら恥ずかしい・・・
ま、多くは語りたくないがなんとかごはんとカレーができあがったころにはどっぷり夜。
まわりの人はみんな早々と寝ていたので、周囲はまっくらだし、バンガローだけに電気がついていたのでそこで遅まきながら晩餐。
みんなと時間がずれたことですいていたし、堂々と場所をとってやれたのでまあかえって楽しかった。
買ってきたすいかを川で冷やしたりして、知らないなりにもなんとか人って楽しめるもんなんだわ。
第一、キャンプすることが目的じゃなくって、みんなで楽しむことが目的なんだから、終わりよければ全てよしってやつよ。


天川伝説
ごはんの後は花火。
折りしも場所は天川。そして時期はお盆。
「天川」という言葉の響きが「天の川」を思い起こさせるのだけど、想像にたがわず夜空の星がとってもきれい。しかも周囲に電気がないので星がとてもよく見えた。
都会からわずか2時間の距離なのにこんなにもきれいで涼しい場所があるなんて、まじキャンプも悪くないと感じた夜だった。
流れ星が流れるたびに、「あー!!今流れた!」「どこどこ?」「お願いしなきゃー」などと交わす会話は大学の頃とかわっていなくて懐かしかった。

花火をフルコースで楽しんだ後、キャンプ場のシャワーが混んでいたので、近くの公営温泉へ!
温泉は8時半までの営業で、なんと1分遅れで入れなかった。
信じられなーい!!観光シーズンにそれはないっすよ!
これだから役所の仕事はよう・・・って言われるんだー、税金返せー!といいながら仕方ないのでキャンプ場に取って返してシャワーに並ぶしかなかった。


UNO
シャワーした後は恒例のUNO大会。
学生の頃からキャンプの度、合宿の度、夜はUNO大会。
今思えば何がそんなに楽しかったのだろうと不思議に思うほど、私達は飽きもせず徹夜UNOに明け暮れていた。
周りは眠っているので、しずかーにUNOしたつもりだったが、テントなのでやっぱり声が漏れてしまったらしくしばらくすると「静かにしてください」と叫ばれてしまった。
すいませんねえ・・・
そこはテントスペースだったのだけど、となりの区画はロッジだったので、「来年はロッジにしよーねー。(そうしたらこころおきなくUNOができるから)」という結論に達した。

来年は「包丁と毛布と懐中電灯は持ってくるぞ」とひそかに誓い合って帰路についた私達だった。


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