1999.8.
27

イングランド

1999.8.27-9.2
初めてのロンドン。足をのばしてリーズにも行きました。
エルトン・ジョンの野外コンサートにも行きました。
彼はゲイなんですか。。。


今回は3回目の研修。成田からロンドン乗り継ぎでマンチェスターへ入り、リーズから列車でロンドンへ入るルート。初めての成田空港からの出発。「ふん、日本の国際空港は成田だけじゃにゃーわ!」と関空に自信を持っていた私だったが、成田空港のでかさにはたまげてしまった。第2ターミナルビルだけでも関空のターミナルビルほどの大きさ。そしてそれがほとんど国際線と聞いては、「・・・やっぱ日本の玄関は成田なのにゃ。」と思わずにはいられない旅立ちであった。

そして私は生まれて初めてC(ビジネス)クラスにのった!なんでCクラスってゆーんだろうね。それは多分航空会社の予約をする時、ブッキングクラスといって同じエコノミーでも正規運賃はY、団体用のクラスはBとか正規割引航空券はKとかって決まった予約クラスわけがあるのだ。それのビジネスクラスはたいがいCだからかな、と勝手に察しをつけている。とにかく往復英国航空のビジネスだ!うーん、快適っす。なんつったって広いわあ、座席が!

マンチェスターなんて中学校の時習った社会の教科書の中の街にすぎなかったので、実際訪れてもなんら実感がわかない。でもマンチェスターという街は知る人ぞ知るすごい街なのだ。
まず、ゲイが多い。ゲイ・ビレッジがたくさん。夏には盛大なゲイフェスィバルなんかが開かれるそうで、実際滞在中もちょうど開催中だった。行かなかったけど・・・。
それからサッカーチーム。マンチェスターユナイテッドという強豪プロサッカーチームのホームタウン。

帰国後、気をつけてお客さんの動向をさぐってみると、なるほど、マンチェスターに行くのは男連れが多い。・・・ゲイだってゆってんじゃないのよ・・・。

ロンドンから飛行機で1時間。マンチェスターまで来る日本人はさすがに少ない。ピークディストリクト国立公園のプロモーションで訪れた。その後、車で約40分でリーズへ。リーズ近郊の大邸宅ヘアウッドハウスを訪れたときのこと、その日の夜ちょうどエルトン・ジョンさんの野外コンサートがあるとかで大渋滞。そして私達も急遽そのコンサートを見ることができることになった。さっすが、政府系観光局のお力はすごいっす。
でも、途中で雨!が降りだし、早めに切り上げることになってしまった・・・



リーズから特急で2時間、ロンドンのキングスクロス駅に到着。そう、今でこそパリーポッターがホグワーツ行きの特急に乗りこんだ9 3/4番線があることで有名だが、当時はなんの変哲もないいち鉄道駅にすぎなかったキングスクロス駅。
ロンドンでのホテルは、ケンジントン宮殿の少し南にあった。ちょうど滞在中の8月30日は故ダイアナ妃の2 years memorial でケンジントン宮殿の前の門にはものすごい数の花束や彼女の写真があふれていた。彼女の命日を祝日にしようという活動があるとテレビでも報道されていた。「現代のシンデレラ」と一躍世界の注目を集め誰よりも幸せを強く求めながらも、実際は幸うすかったようにみえる彼女の淋しさがが少しでも和らげられるといいのに、と私はイギリス国民の彼女への哀悼の意を目の当たりにしてそう思わずにはいられなかった。


ロンドンを訪れて思ったのは、ロンドンの街並みが高層ビルが建ち並ぶいわゆる大都会というイメージと異なっていたことだ。ロンドンでは建築物に高さ制限が設けられているとかで、高層ビルがない。デパートをはじめたくさんの年代物の古い建築物が建ち並び、その古さ加減がイギリスの「伝統と歴史深い」雰囲気を醸し出しているように思う。そういえば、イギリスのブレア首相は「超大国になれなくてもいい。住みよい国になろう。」はっきりしたことは忘れてしまったけれど、そういったふうな事を言ったと思う。どこがそうだ!とは断言できないけれど、ロンドンの町をみて私は彼らのそんな心意気をふと感じた。


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1999.4.
13

台湾

1999.4.13-18
駆け足の台湾周遊旅行。
台北・阿里山・台中・高雄・花蓮。
忙しい旅でした。


同期の退職記念に今度は台湾にいくことになった。というか、韓国に行った帰りに今度は台湾に来よう!と決めていたんだけどさ。台湾5泊6日周遊の旅。


今回も全日空系のエアーニッポンで。あまり時間はよくないけど、安さには勝てない。台北までエアーニッポンとエバー航空の共同運航便の旅。昼過ぎに関空を出発して夕方台北へ着く。そのまま乗り継いで高雄へ入った。
今回は関空~台北の往復の航空券と阿里山のホテル1泊を日本で手配していった。台北からはノーマルを買って高雄へ行ったのだが、どこの航空会社だったっけなあ。思いっきり国内線専門なので名前なんてきいたこともない。復興航空だったような気がするけどなあ。


ところで台北の松山国際空港の滑走路は高架になっている高速道路と並行している。パイロットが間違って着陸したりしないのかとおもっていたら、高速道路は有事の際には軍用機の滑走路ともなるそうで、韓国といい、台湾もまだまだ、平和に見えるけど実は不安定なんだなと感じた。


高雄では着いてからホテルを物色した。ガイドブックを漁って、駅前のホテルに目星をつけて行ってみた。またまたこれが安い。1人2500円くらいなもの。もちろん、バス・トイレ着き。部屋は昔はスナックかバーかなんかだったのかどーんとだだっ広い。ソファだったのを改造したと思われるベッド。幅ばっかり広いが寸足らず。だがしかし、お湯はふんだんに出るし、冷房完備。テレビではなんと、半年ほど前に日本で放送されていたドラマが字幕付で放送されていたりした!



翌日高雄観光後、列車で北上して嘉義へ。嘉義はアーリーシャン、阿里山へのゲートウェイなのだ。阿里山鉄道のチケットは出発の30分前だかからしか発売しない。私たちはスケジュールがぎりぎりだったのでそんな間際でほんとに買えるのか心配だった。そんな様子をみたのか、怪しいおばはんが「チケット・チケット」と言ってよってきた。チケット+昼ごはんかなにかでゆわれたのだけどごはんなんていらなかったし、高かったので一度は断ったが、なんとか交渉してチケットだけもぎとった。それでも割り高だったけど、のりっぱぐれるよりましだ、と自分を納得させて。ちなみにチケットはホントに30分前から販売されてました。


阿里山鉄道はほんまに鉄道かと思うほど、車幅が狭い。通路を挟んで2席と1席。バスより狭い。おまけに雨。阿里山に着くころにはすっかり霧がでていて、周りはなにも見えない。うねうねと山を登っていくにつれあたりは木々でうっそうと暗くなる。執着駅には翌日の玉山ご来光を拝むツアーの客引きが来ていて、ほとんどの人が申し込んでいた。が、相手は(多分)中国語なので、係りの人が何を言っているのか全くわからない。向こうも英語がわからないので話がさっぱり進まない。そこへ救世主のように、あやしい英語を話す係員が現れてなんとか申し込みをすませ、いざホテルヘ。着いた宿舎(国民宿舎)はきれいな感じだったが、暖房がない!阿里山は雨の影響か、もともと標高が高いからなのかさぶい。部屋に入っても震えが止まらず、部屋にありし毛布をかぶって持ってきた服をすべて着て寝るはめになった。それでも、がたがた震えがとまらなかった。他の地域ははっきり言って暑くて部屋に冷房が必要なほどなだけに、内陸は要注意。


そして翌朝4時半起床。玉山ツアーへ!もちろん係員は中国語オンリーなので相変わらずさっぱりわからない。でもツアーで知り合った女の子2人連れが少し英語を話せたのでなんとか、私達は日本人です、と意思疎通できた。と、彼女らが50過ぎのおっさんを連れてきたかと思うと、彼はなんと流暢な日本語を話し出した。おー、なんということでしょう。彼らは植民地時代、日本語を強制されていた名残で今も話せるというわけなのです。そして私たちは日本語と中国語で会話を楽しむことができたのです。ついでにパンや温かい飲み物までごちになってしまいました。すごいおいしかった。肝心の日の出はタイヘンきれいでした。すごい人でした!その後ホテルにもどって、来た時とおなじ鉄道で嘉義まで戻って、台中へ向かった。ほんとは日月箪にも行きたかったのだけど、ぺーぺーの私達が4月なんてバケーションシーズンでもないときにそう何日も休みをとれるはずもなく、日月箪は省いた。




そして台中から花蓮へ飛行機でひとっとび!!だがこの飛行機がまたちっさくて怖い。空港自体、どこにあるか地図にも載っていない。地元の人すら知らない。しかも「AIRPORT!]さえ通じないので、どんな秘境に来てしまったのかと私達は途方にくれてしまった。それでもなんとかさがしあてた空港はバスターミナル並の空港ビルで、ドアの向こうは滑走路という状態。うーん、大阪中央郵便局よりちっさかったわあ。ドアの向こうにすぐ飛行機が待機していて、階段で機内に乗り込む。ひえー、落ちても私達だけは助かりますように…なんていうお祈りがきいたのか、私達は無事花蓮にたどりつくことができた。


なんで、花蓮までいったかといえば、それは太閣渓に行こうと思ったから。驚いたことに日本語ツアーがあるというので四苦八苦して申しこんだ。現れたガイドは、ほんものか?と疑いたくなるような態度もガタイもでかいオンナで、まず中国語でガイドし、そのあと英語。この英語も非常にアヤシイ。そして最後が日本語。英語をきいて察しはつけていたが、ネイティブの私たちでさえ、(日本語が)超ききとりにくい。が、中国語ではさっぱりなのでこのガイドについていくしかない。だが、明らかに日本語の説明は異常に短い。かなり省かれていると思われる。
ちなみにそのバスに日本人は私達2人だけだった。後で「両替したい」と日本語で言ったら通じたので、たまげたことに彼女は3ヶ国語を操れるとみた。ちょっと尊敬。


この日は非常に天気がよくて絶景。夕方花蓮に戻った後、その足で列車で台北へ。
台北ではガイドブックで目をつけていた華華大飯店別館に宿泊。この「別館」というのがみそ、で華華大飯店自体はけっこうきれいないいホテル。で、別館はぼろい。けど、最低限の設備は整っていたし、冷房もよく効いて部屋も広いので文句はない。値切る気も消えうせるほど安い。1泊1人2000円ちょっと。なんといっても台北駅から徒歩数分という絶好のロケーション。三越も近いし文句ない。4月だというに台北は暑くて、クーラーなくしては安眠できないのでご注意。



帰りもエアーニッポンとエバー航空の共同運航便にて一路日本へ!エバー航空なんてきいたことなかったけど、エバーグループというのは台湾では有名財閥みたいなもので、世界中にいくつかホテルなんかももってたりする。日本~台湾間には日本アジア航空も定期便を飛ばしているけど、私たちが利用した便は時間が悪いせいかほぼ満席の機内は台湾人だらけ。こんなにも多くの人が日本と行き来しているのかと驚いてしまった。


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1999.3.
12

上海

1999.3.12-14
初めての添乗!
たいへんな忘れ物をして、クビになるトコでした!!(^^ゞ

2泊3日の初めての添乗。お客さまにはまさか「初めてでーす!」ともいえないので「上海は2回目です」と言っていたが、アンケートには「あとは慣れることね」と書かれていたのでしっかり見ぬかれていたと思われる。


人生最大のピンチ!
中国はまだ観光立国の中では数少ない日本人にもVISAを要求する国である。
通常添乗員同行ツアーでは団体ビザといって一枚のビザでツアー全員の名前を網羅するタイプのビザを取得する。今回もこの団体ビザだった。これがまた、中国で入国するのが一苦労。ビザの番号順に客を並ばせるのだ。大学でたてのコムスメが大の大人を「はい、1ばーん、はい、次2ばーん!!…」と並ばせるのはオオホネ。今回このビザを出発した関西空港にもう少しで忘れてくるところだった。関空使用料のキップをさしこむあの改札も通って荷物検査もとおって、さあ出国しましょう!と列に並んだ途端に思い出したのだ!「あら…・きゃー、ビザ忘れたー!!」お客様との待ち合わせ場所であった団体中央カウンターというところにルーミングリストやら虎の巻きやらをいれたファイルをごっそり忘れてきちゃったのだ。とっさに「よし、ひき返そう」と思うものの、よくみれば荷物検査場に戻るのぼりのエスカレーターがない。階段もないっ。時間もないっ。あせって係員をつかまえて上りのエレベーターにとびのりX線検査を逆流。このときいかつい係員に「時間がない(搭乗まで)から、もう戻れない」といわれたが、ビザを忘れたら入国できないのでこっちは必死で抵抗する。後からゆっくり考えたら、まだ日本にいるというのに、「NO!NO!」と叫んでいたような気もする。良識ある係員はめんどくさくなったらしく、横の柵から私を放り出してくれた。「またX線通れよー!!」とか言って。


あれは多分私の人生で最大級のまじやばであった。もし思い出さずに中国着いてから思い出してたらどうなってたかなあ。考えただけでも恐ろしい。多分クビ、やな。


搭乗口まで見送りにきてくれていた空港駐在のウチの社員に、「あーもう少しでビザ忘れちゃうとこだった(笑)」と堂々と告げたら、彼はぎょっとして冷や汗たらしていた。帰国後、私を待ちうけていたのはモチロン「ビザ忘れたんだって?」という先輩方のヤサシイおことばであった。


なにはともあれ、上海に着いてしまえばこっちのもの。中国のツアーでは日本語ぺらぺらのガイドが帰国する空港まであれやこれやと世話してくれるので、楽チン。とはいっても、仕事してるふりをしないとアンケートに何書かれるかわかったものではないので、一生懸命知ってるフリをする。だって「わたくし、上海は2度目ですもの。(ほんとは初めてだけど)」


上海は近代化が驚くほどすすんでいて、中国にありがちな暗いとか曇っているとかいうイメージとはほど遠い。空港も今使っている虹橋空港から来年には甫島空港という最新の国際空港が開港する。
上海観光の目玉といえば、それは東方明珠塔である。2つの球体とタワーが合体した妙なかたち。この日は天候が悪く霧が発生していて、近づいてもタワーの下の珠までしか見えない。展望台には上ったものの、球体のガラスがすりガラスみたいに真っ白でなーんも見えない。がっくり。そして夜は、上海蟹。上海蟹はとっても小さい。足もほっそーい。むくのがたいへーん。きれいなオネエさんが蟹のむきかたをデモンストレーションしてくれたけど、みんなが見ていたのはかに、じゃなくってオネエサンの足の方だった…


そして泊まりは花園飯店、ホテルオークラ。もちろんデラックスクラス。私もオークラのシングルルームをもらえた。これが、ひろい。さすがアジアのホテル!重厚なインテリア。んー、8畳近くありましたねえ。会社の机よりでかいと思われる机がドーンとそなえてあり、キングサイズのベッド。極めつけはバスローブ!!私は生まれて初めてバスローブというものを着て寝ました。あとから聴いたら、それは着て寝るものではないらしいですが、その着心地のよろしいこと!!外人が着たがるわけだ!!
日本に帰ってきて私もかおうと思ったけど・・・、高かったのでやめた。
とかなんとか言ってるうちにあっという間の2泊3日の旅は無事終了。



最後の最後までお世話になったガイドさんに空港へむかうバスの中で挨拶してもらおうと思ったが、いつ空港に着くかもわからない情けない私。そこで空港に着く5分前になったらマイクくれ!といって(日本語で)、お世話になりましたーコールを無事完了。
そして私達は機上の人となったのでありました。
おみやげはパンダクッキーよ!!


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