Home > 旅story
2000.06.
21
水曜日

北欧・ロシア

2000.6.21-7.1
夏至祭のロシア。夜十時が真昼間の明るさ!
「夏は短し、遊べよロシア人」でな勢いでみなさん暗くなるまで遊んでおられました。ちなみに日没は深夜2時すぎです。。。


初めてのヨーロッパサブ添乗。
出発1週間前になって突然声が出なくなったりして焦ったが。
(だって声が出なかったら添乗員の意味がないじゃん!タダでさえ役立たずなのに。)
ソコは耳鼻科のセンセイに「何がなんでも治してほしい!」とお願いし、薬もたっぷり出してもらってなんとか出発した。
が、実は声が出なくなった原因は「栄養失調ですね」とか言われて度肝を抜かれたのだった。
だってうら若きピチピチの乙女が「栄養失調」だなんて!
確かに一人暮らし始めて2ヶ月たらずだったけどさ。
母親に伝えたところ、野菜ジュースが1ダース(!)届いた。。。

日本でもよく夏至の日の太陽は真東から昇る、とかという表現をよく聞くけど、北欧にきて初めて夏至の威力を感じた。
だって日本じゃ、四季はあるけど日の出や日没の時間は最も差があっても2時間位だ。
なのにロシアに泊まったその日がちょうど夏至祭の日だったこともあるが、この頃の日没は夜中だ。
夜ご飯を食べて外に出たら、まるで真昼間の明るさ。
夜の気配なんて全くない。
夜ご飯食べたつもりが外に出たらまだ昼間の明るさだ。時計はすでに午後8時半を回っているのに。
体のリズムが狂っちゃう。
現地の人は短い夏の太陽をあびようとしてか、暗くなるまで(つーか夜中の12時頃だ、暗くなるのは)街へ繰り出す。そら、5時ピタで仕事終わって帰っちゃうわけだ、と妙に納得した。
いったい何時になったら暗くなるんだろうとがんばって起きてみたりしたけど、12時頃暗くなったのを確認するのが精一杯だった。夢うつつで途中で目が覚めたら、なにやらもう明るい。
「!!!」と思って時計を見たらまだ夜中の2時。
どぇー、もう日の出かい。
夏の間はいつ寝りゃあいいんじゃい!と思ってしまった。夜はどこへ行ったんじゃ?
・・・よくよく考えたらこれが「白夜」ってやつだと思い当たった。
教科書とかではよく目にする言葉だけど、実際日本に暮らしていては体験しえないものなので全く実感が伴ってなかった。
夏至の頃の北欧には夜がないのだ。太陽は沈みきらないのだ。
その分、冬は10時頃日の出で15時には暗くなってしまうという。
自然て厳しいのね・・・

アンデルセンの童話「人魚姫」に出てくる人魚の像が実はデンマークのオーデンセにあって訪れたのだが、
この世界的に有名な人魚姫の像、びっくりするほどちっさい。
世界三大がっくりの1つだという噂はあながちウソでもない。
高さ80センチ。実物大なのかもしれない。
まあ、小さいのは仕方ないのだが、確かに人魚姫が巨像だったら雰囲気ぶち壊しだし、なによりその立地があまりにもかわいそうだった。
ただでさえ、想いかなわず海の泡になってしまうかわいそうな姫なのに、北欧のその晴れた青空とは縁遠そうなイメージの暗い海にぽつねんと建って(まあ実際は座ってるんだけど)いる。
せめて花壇の真ん中に、とか思ってしまう私は夢見る少女すぎだろうか。
彼女が次は人間として生を受けることを願わずにはいられない風景なのだった。



「ロイヤルコペンハーゲン」という陶磁器で有名なコペンハーゲンで私は思いがけないモノに出合った。
それは、羽毛布団!
よく考えれば北欧なんだから羽毛はあたりまえなのだけど。
ホテルのベッドに羽毛布団が使われていたのだ。
だって普通、外国のホテルでは掛け布団はシーツ+毛布だ。
あの最大限にきっちりマットレスに織り込まれたシーツと毛布をベリベリとはがしてからでないと、仰向きに寝転んだとき足首が上にむけれないなんともやっかいなヤツ。
ところが、コペンハーゲンのホテルでは(そのホテルが偶然、だったのかもしれないが)、ベッドの上にふかふかそうな掛け布団が!
感動、であった。熟睡できたのは言うまでもない。
やっぱり日本人には布団だなー。
なんで外人さんはあんなペラペラなもの(毛布とか)着て寝るんかな~。

あと日本の倉敷にもあるけれど、チボリ公園。
本家のチボリ公園は夜遅くまで営業していて、というか夜が本番みたいで、日が暮れてライトアップされてくると、人々がわんさか繰り出してくるのには驚いた。
私はジェットコースター大好き人間なのでモチロン乗ったのだけれど、(実は添乗中なのでさすがに乗れないと諦めていたのだが)、夕食後の真っ暗な中にジェットコースター乗ったのは初めてだったしちょっと気分が悪くなってしまった。。。



暗いイメージが似合うロシアだが、短い夏・それも夏至だったので滞在中は雲ひとつない青空に恵まれた。
その一瞬輝く夏空の下で見るロシアの建物はどれも重厚で荘厳なものばかりだった。
エルミタージュ美術館もクレムリンも聖ワシリー寺院もなにもかも。
フランスのような華麗さはないけれど、おちついたしぶい、そしてところどころに社会主義の影が垣間見えるそんな国だった。
関西からは週に1便しかモスクワ行きの飛行機がないけれど、是非夏に訪れてほしい美しい国だと思った。


拍手する

1999.08.
27
金曜日

イングランド

1999.8.27-9.2
初めてのロンドン。足をのばしてリーズにも行きました。
エルトン・ジョンの野外コンサートにも行きました。
彼はゲイなんですか。。。


今回は3回目の研修。成田からロンドン乗り継ぎでマンチェスターへ入り、リーズから列車でロンドンへ入るルート。初めての成田空港からの出発。「ふん、日本の国際空港は成田だけじゃにゃーわ!」と関空に自信を持っていた私だったが、成田空港のでかさにはたまげてしまった。第2ターミナルビルだけでも関空のターミナルビルほどの大きさ。そしてそれがほとんど国際線と聞いては、「・・・やっぱ日本の玄関は成田なのにゃ。」と思わずにはいられない旅立ちであった。

そして私は生まれて初めてC(ビジネス)クラスにのった!なんでCクラスってゆーんだろうね。それは多分航空会社の予約をする時、ブッキングクラスといって同じエコノミーでも正規運賃はY、団体用のクラスはBとか正規割引航空券はKとかって決まった予約クラスわけがあるのだ。それのビジネスクラスはたいがいCだからかな、と勝手に察しをつけている。とにかく往復英国航空のビジネスだ!うーん、快適っす。なんつったって広いわあ、座席が!

マンチェスターなんて中学校の時習った社会の教科書の中の街にすぎなかったので、実際訪れてもなんら実感がわかない。でもマンチェスターという街は知る人ぞ知るすごい街なのだ。
まず、ゲイが多い。ゲイ・ビレッジがたくさん。夏には盛大なゲイフェスィバルなんかが開かれるそうで、実際滞在中もちょうど開催中だった。行かなかったけど・・・。
それからサッカーチーム。マンチェスターユナイテッドという強豪プロサッカーチームのホームタウン。

帰国後、気をつけてお客さんの動向をさぐってみると、なるほど、マンチェスターに行くのは男連れが多い。・・・ゲイだってゆってんじゃないのよ・・・。

ロンドンから飛行機で1時間。マンチェスターまで来る日本人はさすがに少ない。ピークディストリクト国立公園のプロモーションで訪れた。その後、車で約40分でリーズへ。リーズ近郊の大邸宅ヘアウッドハウスを訪れたときのこと、その日の夜ちょうどエルトン・ジョンさんの野外コンサートがあるとかで大渋滞。そして私達も急遽そのコンサートを見ることができることになった。さっすが、政府系観光局のお力はすごいっす。
でも、途中で雨!が降りだし、早めに切り上げることになってしまった・・・



リーズから特急で2時間、ロンドンのキングスクロス駅に到着。そう、今でこそパリーポッターがホグワーツ行きの特急に乗りこんだ9 3/4番線があることで有名だが、当時はなんの変哲もないいち鉄道駅にすぎなかったキングスクロス駅。
ロンドンでのホテルは、ケンジントン宮殿の少し南にあった。ちょうど滞在中の8月30日は故ダイアナ妃の2 years memorial でケンジントン宮殿の前の門にはものすごい数の花束や彼女の写真があふれていた。彼女の命日を祝日にしようという活動があるとテレビでも報道されていた。「現代のシンデレラ」と一躍世界の注目を集め誰よりも幸せを強く求めながらも、実際は幸うすかったようにみえる彼女の淋しさがが少しでも和らげられるといいのに、と私はイギリス国民の彼女への哀悼の意を目の当たりにしてそう思わずにはいられなかった。


ロンドンを訪れて思ったのは、ロンドンの街並みが高層ビルが建ち並ぶいわゆる大都会というイメージと異なっていたことだ。ロンドンでは建築物に高さ制限が設けられているとかで、高層ビルがない。デパートをはじめたくさんの年代物の古い建築物が建ち並び、その古さ加減がイギリスの「伝統と歴史深い」雰囲気を醸し出しているように思う。そういえば、イギリスのブレア首相は「超大国になれなくてもいい。住みよい国になろう。」はっきりしたことは忘れてしまったけれど、そういったふうな事を言ったと思う。どこがそうだ!とは断言できないけれど、ロンドンの町をみて私は彼らのそんな心意気をふと感じた。


拍手する

1999.04.
13
火曜日

台湾

1999.4.13-18
駆け足の台湾周遊旅行。
台北・阿里山・台中・高雄・花蓮。
忙しい旅でした。


同期の退職記念に今度は台湾にいくことになった。というか、韓国に行った帰りに今度は台湾に来よう!と決めていたんだけどさ。台湾5泊6日周遊の旅。


今回も全日空系のエアーニッポンで。あまり時間はよくないけど、安さには勝てない。台北までエアーニッポンとエバー航空の共同運航便の旅。昼過ぎに関空を出発して夕方台北へ着く。そのまま乗り継いで高雄へ入った。
今回は関空~台北の往復の航空券と阿里山のホテル1泊を日本で手配していった。台北からはノーマルを買って高雄へ行ったのだが、どこの航空会社だったっけなあ。思いっきり国内線専門なので名前なんてきいたこともない。復興航空だったような気がするけどなあ。


ところで台北の松山国際空港の滑走路は高架になっている高速道路と並行している。パイロットが間違って着陸したりしないのかとおもっていたら、高速道路は有事の際には軍用機の滑走路ともなるそうで、韓国といい、台湾もまだまだ、平和に見えるけど実は不安定なんだなと感じた。


高雄では着いてからホテルを物色した。ガイドブックを漁って、駅前のホテルに目星をつけて行ってみた。またまたこれが安い。1人2500円くらいなもの。もちろん、バス・トイレ着き。部屋は昔はスナックかバーかなんかだったのかどーんとだだっ広い。ソファだったのを改造したと思われるベッド。幅ばっかり広いが寸足らず。だがしかし、お湯はふんだんに出るし、冷房完備。テレビではなんと、半年ほど前に日本で放送されていたドラマが字幕付で放送されていたりした!



翌日高雄観光後、列車で北上して嘉義へ。嘉義はアーリーシャン、阿里山へのゲートウェイなのだ。阿里山鉄道のチケットは出発の30分前だかからしか発売しない。私たちはスケジュールがぎりぎりだったのでそんな間際でほんとに買えるのか心配だった。そんな様子をみたのか、怪しいおばはんが「チケット・チケット」と言ってよってきた。チケット+昼ごはんかなにかでゆわれたのだけどごはんなんていらなかったし、高かったので一度は断ったが、なんとか交渉してチケットだけもぎとった。それでも割り高だったけど、のりっぱぐれるよりましだ、と自分を納得させて。ちなみにチケットはホントに30分前から販売されてました。


阿里山鉄道はほんまに鉄道かと思うほど、車幅が狭い。通路を挟んで2席と1席。バスより狭い。おまけに雨。阿里山に着くころにはすっかり霧がでていて、周りはなにも見えない。うねうねと山を登っていくにつれあたりは木々でうっそうと暗くなる。執着駅には翌日の玉山ご来光を拝むツアーの客引きが来ていて、ほとんどの人が申し込んでいた。が、相手は(多分)中国語なので、係りの人が何を言っているのか全くわからない。向こうも英語がわからないので話がさっぱり進まない。そこへ救世主のように、あやしい英語を話す係員が現れてなんとか申し込みをすませ、いざホテルヘ。着いた宿舎(国民宿舎)はきれいな感じだったが、暖房がない!阿里山は雨の影響か、もともと標高が高いからなのかさぶい。部屋に入っても震えが止まらず、部屋にありし毛布をかぶって持ってきた服をすべて着て寝るはめになった。それでも、がたがた震えがとまらなかった。他の地域ははっきり言って暑くて部屋に冷房が必要なほどなだけに、内陸は要注意。


そして翌朝4時半起床。玉山ツアーへ!もちろん係員は中国語オンリーなので相変わらずさっぱりわからない。でもツアーで知り合った女の子2人連れが少し英語を話せたのでなんとか、私達は日本人です、と意思疎通できた。と、彼女らが50過ぎのおっさんを連れてきたかと思うと、彼はなんと流暢な日本語を話し出した。おー、なんということでしょう。彼らは植民地時代、日本語を強制されていた名残で今も話せるというわけなのです。そして私たちは日本語と中国語で会話を楽しむことができたのです。ついでにパンや温かい飲み物までごちになってしまいました。すごいおいしかった。肝心の日の出はタイヘンきれいでした。すごい人でした!その後ホテルにもどって、来た時とおなじ鉄道で嘉義まで戻って、台中へ向かった。ほんとは日月箪にも行きたかったのだけど、ぺーぺーの私達が4月なんてバケーションシーズンでもないときにそう何日も休みをとれるはずもなく、日月箪は省いた。




そして台中から花蓮へ飛行機でひとっとび!!だがこの飛行機がまたちっさくて怖い。空港自体、どこにあるか地図にも載っていない。地元の人すら知らない。しかも「AIRPORT!]さえ通じないので、どんな秘境に来てしまったのかと私達は途方にくれてしまった。それでもなんとかさがしあてた空港はバスターミナル並の空港ビルで、ドアの向こうは滑走路という状態。うーん、大阪中央郵便局よりちっさかったわあ。ドアの向こうにすぐ飛行機が待機していて、階段で機内に乗り込む。ひえー、落ちても私達だけは助かりますように…なんていうお祈りがきいたのか、私達は無事花蓮にたどりつくことができた。


なんで、花蓮までいったかといえば、それは太閣渓に行こうと思ったから。驚いたことに日本語ツアーがあるというので四苦八苦して申しこんだ。現れたガイドは、ほんものか?と疑いたくなるような態度もガタイもでかいオンナで、まず中国語でガイドし、そのあと英語。この英語も非常にアヤシイ。そして最後が日本語。英語をきいて察しはつけていたが、ネイティブの私たちでさえ、(日本語が)超ききとりにくい。が、中国語ではさっぱりなのでこのガイドについていくしかない。だが、明らかに日本語の説明は異常に短い。かなり省かれていると思われる。
ちなみにそのバスに日本人は私達2人だけだった。後で「両替したい」と日本語で言ったら通じたので、たまげたことに彼女は3ヶ国語を操れるとみた。ちょっと尊敬。


この日は非常に天気がよくて絶景。夕方花蓮に戻った後、その足で列車で台北へ。
台北ではガイドブックで目をつけていた華華大飯店別館に宿泊。この「別館」というのがみそ、で華華大飯店自体はけっこうきれいないいホテル。で、別館はぼろい。けど、最低限の設備は整っていたし、冷房もよく効いて部屋も広いので文句はない。値切る気も消えうせるほど安い。1泊1人2000円ちょっと。なんといっても台北駅から徒歩数分という絶好のロケーション。三越も近いし文句ない。4月だというに台北は暑くて、クーラーなくしては安眠できないのでご注意。



帰りもエアーニッポンとエバー航空の共同運航便にて一路日本へ!エバー航空なんてきいたことなかったけど、エバーグループというのは台湾では有名財閥みたいなもので、世界中にいくつかホテルなんかももってたりする。日本~台湾間には日本アジア航空も定期便を飛ばしているけど、私たちが利用した便は時間が悪いせいかほぼ満席の機内は台湾人だらけ。こんなにも多くの人が日本と行き来しているのかと驚いてしまった。


拍手する