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1999.09.
21
火曜日

中欧

1999.9.21-29
ウィーン、ブタペスト、プラハを巡る旅。
静かで美しい町並みが広がります。私はやっぱりブダペストのドナウ河ビューのお部屋からみた夜景が世界最高だと思います。



今年も9日間も休みを無理やりもらう。そして憧れの中欧へ。大学時代からの友人と2人で。ウィーン・プラハ・ブダペストを巡る旅。

今回は初めてKLMオランダ航空を利用した。うちはKLもよく使ってるから、が理由。だがしかし、9月も下旬だというに、オーバーブッキングで便が全然決まらない。結局前日になって関空からアムステルダム乗り継ぎのウィーン夕方インのはずが、関空からバンコクで乗り継ぎ、アムステルダムからウィーンへ翌朝入る便に振られてしまった。はずだったが、それはむごいと上司が言ってくれたため、急遽関西空港からウィーンへの直行便で行けることになった!!わーい!!帰ってきたら馬車馬のようにはたらきまーす、生きてたらと約束しつつ出発。
この直行便は全日空とオーストリア航空の共同運航便で機材乗員ともオーストリア航空だった。スッチーさんの制服がまたすごい。全身赤。ジャケットもスカートもタイツも靴もである。私なんかは目がちかちかしてまった。

出発の日はちょうど、台湾で大地震が発生した日で関空へ向かうはるかの中で近くに座っていた添乗員とおぼしき男性が電話で慌てふためいて情報をかき集めていたのを鮮明におぼえている。私自身も半年前に訪れた国だったので、朝テレビで見てびっくりして、だいじょうぶかなあと心配していた。どうも私が訪れた国はだいたい半年後に大地震とか大事故に見舞われている。トルコもそうだったし、イギリスも列車事故あったし。偶然よなあああああ。私、災い女とちがうよねええ。ちょっと心配。
だが私は雨女なのだった…・・


とかなんとかいいつつあっとゆー間にウィーン・シュベヒャート空港に到着。今回はホテルは全部日本から予約していった。ウィーンはリムジンバスが着く西駅近くの1泊1人3000円くらいの安宿。どんだけひどいか心配だったけど、全然きれい。でもテレビがなかったのでなんだかさびしい。ついててもどうせ言葉はわからないんだけど。

着いた夜は近くのマクドナルドかなんかで夕食を済ませ、爆睡。
ウィーンの街は広くない。西駅から地下鉄に乗って、中心地あたりで降りてしまえば主な観光スポットはほとんど歩いてまわれちゃう。ケルントナー通りにあるシーフードレストランで昼食をとったけど、ここがおいしかった。チェーン店みたいな気軽にはいれるファーストフード店みたいな感じなんだけど、サラダとかすごいおいしいの。ちと高いけどね。友人が気にいって翌日もここでお昼した。




世界最高の街ブダペスト。ウィーンからブダペストに行くルートでバスで行くか電車で行くかもめたが、結局電車の方が安かったので電車に決定。もちろん西駅から出発する。列車は普通のローカル線だが、車両はきれいで、多分夜は寝台列車として運行されているようで、個室がならんだもの。すいていたのでゆっくりできた。国境を越えると両替屋さんがまわってきたりする。パスポートにおしてくれた出入国スタンプが電車のマークでかわいいーとかいってるうちに列車に到着。

今回は日本で手配していたあの「美しき青きドナウ」で有名なドナウ川沿いのマリオットホテルに泊まる。このホテルに泊まったらば、なにがなんでもおススメはリバービューの部屋。チェックインの時、だめかなっと思ったけど、試しにリバービュープリーズといったら、あっさりOK,とのこと。きゃああ、ほんとに川沿いだあ。これが美しい!!夜景が最高!!川の向こうがブダ地区で小高い丘になっているところへ、王宮が建っている。そして川にはくさり橋。夜になるとくさり橋と王宮周辺がオレンジのライトでライトアップされる。これがすんごい、きれい。マリオットの部屋はバルコニーがついているのでここから写真が撮れる。私が今まで旅先で出会った中で最高のシーン。ドナウ川沿いにはもうひとつ「インターコンチネンタル」というホテルがあって、ここは客室の半分がリバービューで、予約時に追加料金を払えばリバービューを指定できる。くさり橋にも近くて迫力あるのだけど、いかんせん高い。それにバルコニーもないのがちょっとね。その点、マリオットもデラックスクラスだけどそこまで高くないし、個人的にマリオットのインテリアとかは落ち着いた感じで部屋もけっこう広いので気に入っている。ブダペストに泊まるならマリオットは超おすすめ!

そして教会でのオルガンコンサート。チケットを買おうと、わざわざ「ADULT、TWO、PLEASE」と言っているのに、「STUDENT」のチケットをくれた。ま、安いのでいいけど、私たちはどこに言っても結局学生に区分されてしまった。




そして最後の訪問地、百塔の街プラハ。プラハらしく小雨が降るもの悲しい天気。
旅も後半なので、ちょっと歩くだけでもすぐ疲れを感じてしまう。
プラハでの宿はバックパッカーには不似合いなルネッサンス。
だって安かったんだもーん。
プラハではユダヤ人街などリアルな負の遺産も見学した。
虐殺されたユダヤ人の名前が建物の内側の壁にびっしり書き込まれていたのには驚いてしまった。
その数は半端ではない。ウン十万人が殺されたのだ。
どうしてユダヤ人がそんなにも辛い運命を背負っているのかしら?
だってそもそもユダヤ人の放浪の始まりは聖書の時代から始まってるじゃない?
それなのに、2000年以上だった現在だって、まだ中東はもめてるじゃないねえ。

日本は遠かった!
そして帰国日。
余裕を持って空港に着いたのに、チェックインカウンターには長蛇の列。
いや~な予感。2時間前なのに搭乗手続きを開始してないってことは、すでにディレイ(遅れ)が決まっていて、しかも出発の見込みがたっていないってことがよくある。
さんざん待たされた挙句、やっとこさチェックインはできたけれど、案の定「20分遅れている」とか言う。
うおー、これは絶対20分どころの遅れではにゃーな、と踏んだ私は正しくて、20分が1時間になり、2時間になり、結局3時間近く遅れた。
私達は2時間程の乗継時間で日本へ帰る便に乗り継がなくてはならなかった。
しかも乗継便はラッキーなことにビジネスクラスにアップグレードされていたのである!!
何が何でも飛んでもらわなくちゃっと焦る私達をものともせず、飛行機は「天候不順」とかいって一向に出発する気配がない。
うそつくなっちゅーねん、他社便はバンバン飛んでいるというのに(怒)
40名の団体なんかをのせている便だと遅れても、乗継便が待ってくれていたりするのだけど(だってそんな大量に振り替え不可能だから)、プラハなんてマイナー都市から飛んでくる飛行機から関空行きに乗り継ぐのは私達2人くらいなものだったらしく、乗継便は私達を待ってはくれず無常にも出発してしまっていた。
乗継カウンターでは「ほいっ」と明日のチケットを渡され呆然とする私達。
あ・あした着かなきゃ、あさってから会社いけないじゃないのお。
すでに9日も休みをとっているのである。これ以上は1日たりとも休めない・・・
私はあきらめてホテルを探したのだけど、人の足元みやがって、かなり高い・・・
そうこうしているうちに私達は見つけてしまった。
目の前のゲートに停まっている「鶴のマーク」の飛行機を!
掲示板をみれば行き先は「NARITA」。
私の友達は一言、「あれで帰る。」
格安航空券が到底他社便にエンドースしてもらえるはずないと知っている私は「無理無理」といったが友人は「席さえあれば乗せてもらう!!」とゴーインに交渉開始。
彼女の熱意には百戦錬磨のカウンターのおばちゃんも負けたらしく、ついに私達はその飛行機にのせてもらえることになった。しかもNARITA行きの便なのに大阪までの便もつけさせて。
しかしその便は満席で、全員が搭乗手続き済んだことを確認してからしか席が確定しないという危うい状況で、シートナンバーがもらえたのは搭乗開始10分前。
気が気ではなくて、さっぱり買い物もできなかった。
もらえた席は最後尾の胴体が細くなって3席並びだった席が2席ならびになったまさしくソコで、機内食がまわってくるのも最後なので選択の余地もない、悲しい帰国便であった。
スッチーさん:「和食にされますか?洋食にされますか?」
私:「じゃあ、和食お願いします。」
スッチーさん:「あいにく和食がきれておりまして・・・・」
私:「・・・・・・・。(ならきくなっつーねん・・・)」
まあ、無理にのったんだから文句はいわないさ。

成田に着いたらやっぱり私達の預け荷物は着いていなかった。
そらそーだわな。明日着く飛行機に乗せかえられているハズだもんなー。
でもおかげで、身軽で家まで帰れちゃった。
成田空港で、所定の手続きを済ませておけば、荷物がついたら通関して家まで届けてくれちゃうの。
モチロン、タダ。
行きに荷物がなくなちゃうのは悲劇だけど、帰りならいいわっと思ってる私って罪?


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1999.08.
27
金曜日

イングランド

1999.8.27-9.2
初めてのロンドン。足をのばしてリーズにも行きました。
エルトン・ジョンの野外コンサートにも行きました。
彼はゲイなんですか。。。


今回は3回目の研修。成田からロンドン乗り継ぎでマンチェスターへ入り、リーズから列車でロンドンへ入るルート。初めての成田空港からの出発。「ふん、日本の国際空港は成田だけじゃにゃーわ!」と関空に自信を持っていた私だったが、成田空港のでかさにはたまげてしまった。第2ターミナルビルだけでも関空のターミナルビルほどの大きさ。そしてそれがほとんど国際線と聞いては、「・・・やっぱ日本の玄関は成田なのにゃ。」と思わずにはいられない旅立ちであった。

そして私は生まれて初めてC(ビジネス)クラスにのった!なんでCクラスってゆーんだろうね。それは多分航空会社の予約をする時、ブッキングクラスといって同じエコノミーでも正規運賃はY、団体用のクラスはBとか正規割引航空券はKとかって決まった予約クラスわけがあるのだ。それのビジネスクラスはたいがいCだからかな、と勝手に察しをつけている。とにかく往復英国航空のビジネスだ!うーん、快適っす。なんつったって広いわあ、座席が!

マンチェスターなんて中学校の時習った社会の教科書の中の街にすぎなかったので、実際訪れてもなんら実感がわかない。でもマンチェスターという街は知る人ぞ知るすごい街なのだ。
まず、ゲイが多い。ゲイ・ビレッジがたくさん。夏には盛大なゲイフェスィバルなんかが開かれるそうで、実際滞在中もちょうど開催中だった。行かなかったけど・・・。
それからサッカーチーム。マンチェスターユナイテッドという強豪プロサッカーチームのホームタウン。

帰国後、気をつけてお客さんの動向をさぐってみると、なるほど、マンチェスターに行くのは男連れが多い。・・・ゲイだってゆってんじゃないのよ・・・。

ロンドンから飛行機で1時間。マンチェスターまで来る日本人はさすがに少ない。ピークディストリクト国立公園のプロモーションで訪れた。その後、車で約40分でリーズへ。リーズ近郊の大邸宅ヘアウッドハウスを訪れたときのこと、その日の夜ちょうどエルトン・ジョンさんの野外コンサートがあるとかで大渋滞。そして私達も急遽そのコンサートを見ることができることになった。さっすが、政府系観光局のお力はすごいっす。
でも、途中で雨!が降りだし、早めに切り上げることになってしまった・・・



リーズから特急で2時間、ロンドンのキングスクロス駅に到着。そう、今でこそパリーポッターがホグワーツ行きの特急に乗りこんだ9 3/4番線があることで有名だが、当時はなんの変哲もないいち鉄道駅にすぎなかったキングスクロス駅。
ロンドンでのホテルは、ケンジントン宮殿の少し南にあった。ちょうど滞在中の8月30日は故ダイアナ妃の2 years memorial でケンジントン宮殿の前の門にはものすごい数の花束や彼女の写真があふれていた。彼女の命日を祝日にしようという活動があるとテレビでも報道されていた。「現代のシンデレラ」と一躍世界の注目を集め誰よりも幸せを強く求めながらも、実際は幸うすかったようにみえる彼女の淋しさがが少しでも和らげられるといいのに、と私はイギリス国民の彼女への哀悼の意を目の当たりにしてそう思わずにはいられなかった。


ロンドンを訪れて思ったのは、ロンドンの街並みが高層ビルが建ち並ぶいわゆる大都会というイメージと異なっていたことだ。ロンドンでは建築物に高さ制限が設けられているとかで、高層ビルがない。デパートをはじめたくさんの年代物の古い建築物が建ち並び、その古さ加減がイギリスの「伝統と歴史深い」雰囲気を醸し出しているように思う。そういえば、イギリスのブレア首相は「超大国になれなくてもいい。住みよい国になろう。」はっきりしたことは忘れてしまったけれど、そういったふうな事を言ったと思う。どこがそうだ!とは断言できないけれど、ロンドンの町をみて私は彼らのそんな心意気をふと感じた。


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1999.04.
13
火曜日

台湾

1999.4.13-18
駆け足の台湾周遊旅行。
台北・阿里山・台中・高雄・花蓮。
忙しい旅でした。


同期の退職記念に今度は台湾にいくことになった。というか、韓国に行った帰りに今度は台湾に来よう!と決めていたんだけどさ。台湾5泊6日周遊の旅。


今回も全日空系のエアーニッポンで。あまり時間はよくないけど、安さには勝てない。台北までエアーニッポンとエバー航空の共同運航便の旅。昼過ぎに関空を出発して夕方台北へ着く。そのまま乗り継いで高雄へ入った。
今回は関空~台北の往復の航空券と阿里山のホテル1泊を日本で手配していった。台北からはノーマルを買って高雄へ行ったのだが、どこの航空会社だったっけなあ。思いっきり国内線専門なので名前なんてきいたこともない。復興航空だったような気がするけどなあ。


ところで台北の松山国際空港の滑走路は高架になっている高速道路と並行している。パイロットが間違って着陸したりしないのかとおもっていたら、高速道路は有事の際には軍用機の滑走路ともなるそうで、韓国といい、台湾もまだまだ、平和に見えるけど実は不安定なんだなと感じた。


高雄では着いてからホテルを物色した。ガイドブックを漁って、駅前のホテルに目星をつけて行ってみた。またまたこれが安い。1人2500円くらいなもの。もちろん、バス・トイレ着き。部屋は昔はスナックかバーかなんかだったのかどーんとだだっ広い。ソファだったのを改造したと思われるベッド。幅ばっかり広いが寸足らず。だがしかし、お湯はふんだんに出るし、冷房完備。テレビではなんと、半年ほど前に日本で放送されていたドラマが字幕付で放送されていたりした!



翌日高雄観光後、列車で北上して嘉義へ。嘉義はアーリーシャン、阿里山へのゲートウェイなのだ。阿里山鉄道のチケットは出発の30分前だかからしか発売しない。私たちはスケジュールがぎりぎりだったのでそんな間際でほんとに買えるのか心配だった。そんな様子をみたのか、怪しいおばはんが「チケット・チケット」と言ってよってきた。チケット+昼ごはんかなにかでゆわれたのだけどごはんなんていらなかったし、高かったので一度は断ったが、なんとか交渉してチケットだけもぎとった。それでも割り高だったけど、のりっぱぐれるよりましだ、と自分を納得させて。ちなみにチケットはホントに30分前から販売されてました。


阿里山鉄道はほんまに鉄道かと思うほど、車幅が狭い。通路を挟んで2席と1席。バスより狭い。おまけに雨。阿里山に着くころにはすっかり霧がでていて、周りはなにも見えない。うねうねと山を登っていくにつれあたりは木々でうっそうと暗くなる。執着駅には翌日の玉山ご来光を拝むツアーの客引きが来ていて、ほとんどの人が申し込んでいた。が、相手は(多分)中国語なので、係りの人が何を言っているのか全くわからない。向こうも英語がわからないので話がさっぱり進まない。そこへ救世主のように、あやしい英語を話す係員が現れてなんとか申し込みをすませ、いざホテルヘ。着いた宿舎(国民宿舎)はきれいな感じだったが、暖房がない!阿里山は雨の影響か、もともと標高が高いからなのかさぶい。部屋に入っても震えが止まらず、部屋にありし毛布をかぶって持ってきた服をすべて着て寝るはめになった。それでも、がたがた震えがとまらなかった。他の地域ははっきり言って暑くて部屋に冷房が必要なほどなだけに、内陸は要注意。


そして翌朝4時半起床。玉山ツアーへ!もちろん係員は中国語オンリーなので相変わらずさっぱりわからない。でもツアーで知り合った女の子2人連れが少し英語を話せたのでなんとか、私達は日本人です、と意思疎通できた。と、彼女らが50過ぎのおっさんを連れてきたかと思うと、彼はなんと流暢な日本語を話し出した。おー、なんということでしょう。彼らは植民地時代、日本語を強制されていた名残で今も話せるというわけなのです。そして私たちは日本語と中国語で会話を楽しむことができたのです。ついでにパンや温かい飲み物までごちになってしまいました。すごいおいしかった。肝心の日の出はタイヘンきれいでした。すごい人でした!その後ホテルにもどって、来た時とおなじ鉄道で嘉義まで戻って、台中へ向かった。ほんとは日月箪にも行きたかったのだけど、ぺーぺーの私達が4月なんてバケーションシーズンでもないときにそう何日も休みをとれるはずもなく、日月箪は省いた。




そして台中から花蓮へ飛行機でひとっとび!!だがこの飛行機がまたちっさくて怖い。空港自体、どこにあるか地図にも載っていない。地元の人すら知らない。しかも「AIRPORT!]さえ通じないので、どんな秘境に来てしまったのかと私達は途方にくれてしまった。それでもなんとかさがしあてた空港はバスターミナル並の空港ビルで、ドアの向こうは滑走路という状態。うーん、大阪中央郵便局よりちっさかったわあ。ドアの向こうにすぐ飛行機が待機していて、階段で機内に乗り込む。ひえー、落ちても私達だけは助かりますように…なんていうお祈りがきいたのか、私達は無事花蓮にたどりつくことができた。


なんで、花蓮までいったかといえば、それは太閣渓に行こうと思ったから。驚いたことに日本語ツアーがあるというので四苦八苦して申しこんだ。現れたガイドは、ほんものか?と疑いたくなるような態度もガタイもでかいオンナで、まず中国語でガイドし、そのあと英語。この英語も非常にアヤシイ。そして最後が日本語。英語をきいて察しはつけていたが、ネイティブの私たちでさえ、(日本語が)超ききとりにくい。が、中国語ではさっぱりなのでこのガイドについていくしかない。だが、明らかに日本語の説明は異常に短い。かなり省かれていると思われる。
ちなみにそのバスに日本人は私達2人だけだった。後で「両替したい」と日本語で言ったら通じたので、たまげたことに彼女は3ヶ国語を操れるとみた。ちょっと尊敬。


この日は非常に天気がよくて絶景。夕方花蓮に戻った後、その足で列車で台北へ。
台北ではガイドブックで目をつけていた華華大飯店別館に宿泊。この「別館」というのがみそ、で華華大飯店自体はけっこうきれいないいホテル。で、別館はぼろい。けど、最低限の設備は整っていたし、冷房もよく効いて部屋も広いので文句はない。値切る気も消えうせるほど安い。1泊1人2000円ちょっと。なんといっても台北駅から徒歩数分という絶好のロケーション。三越も近いし文句ない。4月だというに台北は暑くて、クーラーなくしては安眠できないのでご注意。



帰りもエアーニッポンとエバー航空の共同運航便にて一路日本へ!エバー航空なんてきいたことなかったけど、エバーグループというのは台湾では有名財閥みたいなもので、世界中にいくつかホテルなんかももってたりする。日本~台湾間には日本アジア航空も定期便を飛ばしているけど、私たちが利用した便は時間が悪いせいかほぼ満席の機内は台湾人だらけ。こんなにも多くの人が日本と行き来しているのかと驚いてしまった。


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