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1998.09.
13
日曜日

韓国

1998.9.13-17
社会人になって初めての夏休み!
学生の頃に比べたら昼寝するヒマもないくらいちょっとだけど。
ソウル、慶州、プサンを周遊。いそがしい~。


入社して3ヶ月して、やっと有給(有休?)を取得した。
で、早速旅行だよお。なんたって旅行会社にいるんだから!というわけで同期と2人して突然韓国行きを決定。土・日を含めて5日間バックパッカーの旅。

全日空171便9時25分関空発。は、はやい。国際線は通常2時間前にチェックインするから7時半には関空に着くようにいく。ためには大阪府下にすんでいても6時前には自宅をでなくてはならない。日本には大きな国際空港は成田と関空しかないから、朝便でも当日出発できる大阪に住んでいることをちょっとラッキーに実感しちゃったりして。


行くからには見尽さなくて気がすまない一ヶ国周遊型がモットーの私たちは、5日間にもかかわらずソウル・プサン・慶州をまわる計画をたてた。うちの会社は全日空を主に使っているので、少しでも安くあげようとキャリアは全日空に決めていた。おのずとルーティングも限られてしまう。関空~ソウルの往復しか飛んでないからね。ガイドブックを2人別々のを携えて、あーでもないこーでもないと考えたあげく、関空からソウルへ行き、そのまま乗り継いでプサンまで行く。プサンで1泊、プサンからソウル行きの夜行列車で1泊、ソウルで2泊した。

プサンの1泊だけ日本で手配してもらい、ソウルからアシアナ航空ノーマル(普通運賃)を買って行った。ノーマルといっても国内線は5000円くらいと日本とは比べられないほど安いのである。プサンのホテルはコモドホテル。はっきりいって外見で選んだ。このホテルは外見がなんとゆーか、私たちが思い描く中国チックでありながら韓国チックなのだ。決して高くないし室内もおちついたかんじでとても感じよかった。
チェックイン後、早速観光に出掛けそこで日本語を勉強中という学生と先生に出会い、遊園地とごはんを食べに連れていってもらい、最後はホテルまで送ってもらってしまった。韓国の男の人は女の子にお金を出さすことなんて、とんでもないそうである。お酒の席でもおんなの人が酒をつぐのははしたないとのこと。日本よりずっと西欧化というかフェミニストな国なんだなと感じた。


慶州へはプサンからバスで日帰り。韓国は漢字よりもハングルにあふれた街で、さっぱり区別のつかない私達は目的地のバスを探すのも大騒ぎである。
慶州では、世界遺産仏国寺へ。そのあと少しうろちょろしたらあっとゆーまに夕方。慶州には韓国人の修学旅行生も大勢訪れていて、日本でいうところの京都みたいなところらしい。慶州からバスでプサンへ戻り、その足でソウル行きの夜行にのる。夜行といっても寝台ではなく、座席なので早朝ソウルに着いたときには、もう疲労困ぱい。ホテルをさがそうにも、インフォメーションが開いていない。7時ごろやっと開いたので、早速ホテルを漁る。すでに2冊のガイドブックを読み漁って目星をつけていたのでハナシは早い。


ホテルを決めるとき重視するのはやっぱり立地。次に予算。韓国なんかは、日本より物価が安いので現地では高級にランクされているホテルでも比較的リーズナブルに泊まれたりする。今回私たちは、思いっきり中心地のホテルロッテのとなりにあるプレジデントを紹介された。考えていた予算よりは少し高いけど、翌日予定していた板門店へ行くオプションの出発がホテルロッテだったし、空港行きのリムジンバスもロッテから出発するということ、なにより今(早朝)からチェックインさせてくれるというのでプレジデントに即決し、というか私の同期はさすがにベンチでへたりこんでいたので、私がゴーインに話しをまとめてホテルへ向かった。ホテルへ向かう道すがら、荷物の重く感じることといったらない。部屋へ入るな否や、時間がもったいないから、といいながらも知らないうちに寝てしまっていた。



昼頃になって生き返ったように元気になった私たちは観光にでかける。その前に腹ごしらえ。自由旅行で海外へ行くと一番困るのが食事。英語圏以外では、レストランのメニューが読めないし、ウェイターが何ゆってるのかもわからないのでレストランにはめったに入れない。そういう時活躍するのが、ファーストフード。マクドとかケンタッキーとかは必ず英語でも併記されているし、世界中そう料金にも味にも大差ないから安心。それからアジアの場合、デパ地下という手もある。そう食料品街である。パン屋さんあり、ファーストコートあり、でけっこう安くてその国の人気あるメニューが食べれたりする。私たちはこの法則を帰国前夜に知ったので、韓国ではためせなかったけど、これから行かれる方にはおすすめ。


翌日は板門店のオプショナルツアーへ参加。板門店は軍事上重要なものなのでさすがに警備も厳しく、個人では行けない。もちろんパスポート必携。ビデオや写真撮影も制限されている。道路には歩道橋のような凱旋門の飾りをとったような形のコンクリート固めの建造物が決まった間隔ごとに設置されている。これは北朝鮮が攻めて来た時、戦車の行く手を阻むために爆破するためのものだという。ひえええええ。



ついでに言えば、韓国では徴兵制がある。20歳になったら男性はみな徴兵のテストをうけ、合格したら2年の軍隊訓練に参加する義務があるという。大学も中断して、である。テストに落ちたら行かなくてもいいのだが、それはすなわち即人生からこぼれおちることを意味するそうだ。就職もできないし結婚もできない。多分軍隊訓練の成果なのだろう、韓国の20代半ばくらいの男性は一様に背は高くないががっしりしているし、頼もしい。精神的にも肉体的にも鍛えられていると感じた。韓国には終戦はまだないのだ。平和そうに見えるけど、それはただ休戦中なだけで、いつ戦争になってもおかしくない状態なのだそうだ。平和な日本に生まれ育った私達にとってその事実は衝撃だった。板門店なんかで警備にあたる兵士はやはり精鋭ぞろいのエリートだそうである。外見はおっかなそうだけど、中身は私達とまったく年のかわらないおとこのこ達が、国家のため?義務を果たすその姿は印象的だった。日本の男性諸君にも見習って欲しいものである。「おまえに言われたくないわいっ。」


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1998.05.
29
金曜日

イギリス領香港

1998.5.29-6.1
初・海外研修!
しかーし暑い国です、香港て!!
中国領返還前の香港でお勉強しました。・・・はず。


会社の新入社員研修と一環として香港旅行博の視察。
きゃー、なんて気前のいい会社なのー、と思っていたら最初で最後だった。
全日空の最新機材777(トリプルセブン)にてイギリス領香港へ。初めて日系キャリアにのった。しかしなんだなー。アジア系のスッチーは美人だす。


そう、このときはまだイギリス領だったのだ。だからって今もなにもかわっちゃいないけど。空港はいまはなき啓徳空港。伊丹みたいに街のド真中に位置する空港。
道路を走ってると、高層ビルのかげから機体がにゅうっと今にも着陸しそうな高度でまさしく「降って」くる。ほんと初めてみたらびっくりするよ。いまはもう、香港島のチェックラップコック空港だかになってます。中国領だしい。

香港といえば、世界三大夜景に数えられるネオンの美しい街。
でも香港のネオンはまたたかないの。あのどうやってプログラミングされているのか、右端から順に点いていって今度は逆から消えていったり…というあのネオン。
それは空港が街中にあるがゆえ、滑走路の誘導灯と間違われないように。
こわいよねえ、飛行機の運チャンがまちがって道路とかに降りちゃったりしたらさ。


ホテルはミラマー。ほんとはマジェスティックの予定だったが直前に変更。
諸先輩方の話ではミラマーはいまいちとのハナシだったけど、なにがどうして。部屋は広いし、従業員の教育も程よく行き届いていてGOO.大通り沿いの便利なロケーションで申し分ない。豪華すぎないので、旅行で気軽に利用できる。だってぺニンシュラとかだったら、旅行者の格好で出入りしたらういちゃいそうじゃーん。だからってスーツとか着るのってめんどー。ま、今回は研修だったのでスーツだったけど。
香港はとにかくあづい。湿度がハンパじゃないのだ。私は暑い国は苦手なので、滞在中ほんっと体力を湿気に奪われっぱなし。もう熱帯はこないぞー。旅行するときは、ヨーロッパの場合はシーズンオフ、アジアの場合は雨季には注意しよう!!


うちの会社では研修には必ず試験が実施され、即刻順位が発表され、同時にトップからびりっけつまでの順位一覧が所属長へ報告されるすばらしい制度がある。
試験といってもうちは旅行会社だから、出るのは観光地の読み方とか所在地とか航空会社の2レターコードとかである。私の場合、仕事ではヨーロッパ専門なもんだから国内の知識がさっぱり増えていかないからこまりもの。国内はこ・ま・か・い。なんたら温泉やらうんたら峡やらで。勘弁してくれー!!(叫)
試験がない時は、例えば他社さんと混載の研修の時とか、帰国後にレポート提出。このレポートがまずいと2度と研修はまわってこない。うーんやっぱ、プレッシャーよなあ。


とにかくこの香港は暑くてそのほかのことはさっぱり覚えちゃいない。スケジュールもすごいきつくって、観光に次ぐ観光(仕事だからねえ)で自由行動はない。唯一、ホテルに戻って食事に行くまでの間30分を利用してショッピングにでかけた。同期が金城武の写真集を買うというので。しかし行ってみて驚いたけど、香港では日本のドラマが大流行。半年くらい前に放送されていたドラマがもうビデオになって売られているし、主題歌が堂々と店内にながれている。カセットテープもばーんと販売されているし。CDじゃないところが、ふふふだね。ところで、ホントかガセか今もわからないけどCDは外国製品は持ちこめないってのは、どうなのかしら?小心モノの私はようためせないのでしゅ。


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1998.02.
27
金曜日

トルコ

1998.2.27-3.8
卒業旅行、初めてのパッケージツアー。
思えば私の旅行業人生の原点はココにあったのかもなあ。


卒業旅行として友人と3人ではじめてツアーに参加した。本当はエジプトに行きたかったのだけど、直前にハトシェプスト女王の葬祭殿で乱射事件があり、エジプト行きのツアーはすべて中止になっていたため、似たようなトルコ周遊にした。しかし安い。S社主催10日間で13万円。全食事付き。もうかってんのかい、と思っていたらやっぱりもうかってなかったらしく、S社はこの年の11月に倒産してしまった。


13万は安いと思ったのは私たちだけではなかったらしく、結局バス3台90人という大ツアー。添乗員3名。客90人にバス3台というのは、ツアーとしては親切ツアーでございます。なぜかっていえば、1台のバスにぎゅーぎゅーに詰めこむ方が頭割り分費用が安くおさまるわけです。ちなみにうちの場合、1台44人までは積みます。どーしてもって時は46人かな。だから、今回はらくちんツアーってわけ。


私はアジア系というか韓国系キャリアに縁があるのか、今回はアシアナ航空で一路イスタンブールへ。モチロンソウル乗り継ぎ。金甫空港。ここは降り立つとキムチなのかなんなのかよくわからないにおいがすることでも有名。でももうすぐ2001年4月には新しい空港がオープンしちゃうのね。国際線はぜーんぶ新空港仁川空港にうつっちゃうんだよー。あー、あのにおいともお別れか。
ちなみに帰りは夕方ソウルに着くのだが、日本を目の前にして乗り継ぎ便がないためソウル1泊。しかーも日本へ帰るよりも時間のかかるなんだかすっごーい遠いホテルに連れていかれたのですることない。だがしかし、もう疲れてふらふらだし寝るだけだったから問題ないけどさ。でもホテルにはすでに3つめのベッドが搬入してあったし、スリッパなんかもあったので、あーやっぱりアジアのホテルだわーとほっとした。


ソウルの空港は写真撮影禁止なのだ。平和に見えるけど、北朝鮮とは休戦しているだけなのでスパイなどの取り締まりが厳しい。しかし、そんな注意もころっと忘れて記念撮影してしまいました。見つかるとフィルムごと取り上げられるそうなのでご注意を。

 
トルコへ行って一番びっくりしたことは、トルコに夜到着した後、私たちをのせたバスが空港をでるなり最初にむかった先が、ガソリンスタンドだったことだ。もちろん給油するために。お、お、お?と思っている間にガソリンスタンドの定位置にストップしてしまった。このときはさすがにバスの中で「おいおい、どこ行くねん」とどよめきが驚きが広がったことはいうまでもない。なんちゅーか、トルコらしいよねー。


2番目に驚いたことはインフレの激しさ。紙幣の単位がすごい。1枚が100万とか何百万トルコリラという額面なのだ。しかもガイドさんが、レストランとかで料金を現払い(その場で現金で払って精算すること。通常ツアーではまとめて請求書で精算するため、レストランではバウチャーとよばれる紙切れクーポンをだすだけなのだ。)するために、10センチほども分厚い紙幣の束を持ち歩いているのだ。現地8日間30人分の費用だという。すさまじい…その紙幣束の分厚さもさることながら、額面にならぶ0の数にたまげてしまう。100万トルコリラなら「1,000,000」と印刷されている。が、こんな高額数字に縁のない私たちはいちいち紙幣をひろげて、イチ、ジュウ、ヒャク、セン、イチマン、ジュウマン…と数えなくてはならない。めんどうきわまりない。ので、こんな慣れない外人の為に色分けしてくれているのか、紙幣の色で区別していた。といっても、やっと覚えたころにはもう帰国だったけど…。


それからもうひとつ。食事のときのドリンクオーダーのとき、コーラ、ヨーグルト、チャイ、トルココーヒーにまじって必ず「ネスコーヒー」というのがどこのレストランでもあるので、「なんだ?ネスコーヒーって。ネッシーの親戚かあ?」などと思っていた。(このドリンクも25万もする。トルコリラで。)ら、とあるレストランでこのネスコーヒーが偶然紅茶のお湯とティーパックのように別々にサーブされたのだ。そのときお湯とともに出てきたのは、出てきたのは!、「ネスカフェ」の粉タイプ1回分だった!!「ネスカフェ」は確かに訳せば「ネスコーヒー」だけど・・・(爆涙)


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