Home > 旅story
1999.03.
12
金曜日

上海

1999.3.12-14
初めての添乗!
たいへんな忘れ物をして、クビになるトコでした!!(^^ゞ

2泊3日の初めての添乗。お客さまにはまさか「初めてでーす!」ともいえないので「上海は2回目です」と言っていたが、アンケートには「あとは慣れることね」と書かれていたのでしっかり見ぬかれていたと思われる。


人生最大のピンチ!
中国はまだ観光立国の中では数少ない日本人にもVISAを要求する国である。
通常添乗員同行ツアーでは団体ビザといって一枚のビザでツアー全員の名前を網羅するタイプのビザを取得する。今回もこの団体ビザだった。これがまた、中国で入国するのが一苦労。ビザの番号順に客を並ばせるのだ。大学でたてのコムスメが大の大人を「はい、1ばーん、はい、次2ばーん!!…」と並ばせるのはオオホネ。今回このビザを出発した関西空港にもう少しで忘れてくるところだった。関空使用料のキップをさしこむあの改札も通って荷物検査もとおって、さあ出国しましょう!と列に並んだ途端に思い出したのだ!「あら…・きゃー、ビザ忘れたー!!」お客様との待ち合わせ場所であった団体中央カウンターというところにルーミングリストやら虎の巻きやらをいれたファイルをごっそり忘れてきちゃったのだ。とっさに「よし、ひき返そう」と思うものの、よくみれば荷物検査場に戻るのぼりのエスカレーターがない。階段もないっ。時間もないっ。あせって係員をつかまえて上りのエレベーターにとびのりX線検査を逆流。このときいかつい係員に「時間がない(搭乗まで)から、もう戻れない」といわれたが、ビザを忘れたら入国できないのでこっちは必死で抵抗する。後からゆっくり考えたら、まだ日本にいるというのに、「NO!NO!」と叫んでいたような気もする。良識ある係員はめんどくさくなったらしく、横の柵から私を放り出してくれた。「またX線通れよー!!」とか言って。


あれは多分私の人生で最大級のまじやばであった。もし思い出さずに中国着いてから思い出してたらどうなってたかなあ。考えただけでも恐ろしい。多分クビ、やな。


搭乗口まで見送りにきてくれていた空港駐在のウチの社員に、「あーもう少しでビザ忘れちゃうとこだった(笑)」と堂々と告げたら、彼はぎょっとして冷や汗たらしていた。帰国後、私を待ちうけていたのはモチロン「ビザ忘れたんだって?」という先輩方のヤサシイおことばであった。


なにはともあれ、上海に着いてしまえばこっちのもの。中国のツアーでは日本語ぺらぺらのガイドが帰国する空港まであれやこれやと世話してくれるので、楽チン。とはいっても、仕事してるふりをしないとアンケートに何書かれるかわかったものではないので、一生懸命知ってるフリをする。だって「わたくし、上海は2度目ですもの。(ほんとは初めてだけど)」


上海は近代化が驚くほどすすんでいて、中国にありがちな暗いとか曇っているとかいうイメージとはほど遠い。空港も今使っている虹橋空港から来年には甫島空港という最新の国際空港が開港する。
上海観光の目玉といえば、それは東方明珠塔である。2つの球体とタワーが合体した妙なかたち。この日は天候が悪く霧が発生していて、近づいてもタワーの下の珠までしか見えない。展望台には上ったものの、球体のガラスがすりガラスみたいに真っ白でなーんも見えない。がっくり。そして夜は、上海蟹。上海蟹はとっても小さい。足もほっそーい。むくのがたいへーん。きれいなオネエさんが蟹のむきかたをデモンストレーションしてくれたけど、みんなが見ていたのはかに、じゃなくってオネエサンの足の方だった…


そして泊まりは花園飯店、ホテルオークラ。もちろんデラックスクラス。私もオークラのシングルルームをもらえた。これが、ひろい。さすがアジアのホテル!重厚なインテリア。んー、8畳近くありましたねえ。会社の机よりでかいと思われる机がドーンとそなえてあり、キングサイズのベッド。極めつけはバスローブ!!私は生まれて初めてバスローブというものを着て寝ました。あとから聴いたら、それは着て寝るものではないらしいですが、その着心地のよろしいこと!!外人が着たがるわけだ!!
日本に帰ってきて私もかおうと思ったけど・・・、高かったのでやめた。
とかなんとか言ってるうちにあっという間の2泊3日の旅は無事終了。



最後の最後までお世話になったガイドさんに空港へむかうバスの中で挨拶してもらおうと思ったが、いつ空港に着くかもわからない情けない私。そこで空港に着く5分前になったらマイクくれ!といって(日本語で)、お世話になりましたーコールを無事完了。
そして私達は機上の人となったのでありました。
おみやげはパンダクッキーよ!!


拍手する

1998.11.
22
日曜日

シチリア

1998.11.22-30
マフィアの街シチリア。そして誰も知らないであろう、コルシカ島の北に浮かぶ島サルデーニャ。
きっとこの業界にいなかったら知らずに過ごしたであろう島を訪れました。


入社して2度目の研修、初めてのヨーロッパ。イタリア行きはイタリアであるが、本土ではなくコルシカ島の北に位置するサルデーニャ島という島とシチリア島をまわる9日間。

今回はアリタリア航空でミラノへ行き、そこから乗り換えてサルデーニャ島のアルゲーロ空港へ行く。またこれがとんでもなく遠い。ホテルに着いて、夕食のテーブルを囲んだ時は日本を出発して約20時間近くたっていた!
アリタリア航空の機内では離陸して間もなくおしぼりではなく、靴下が配られた。最初それが靴下だとわからずなにするものぞと悩んでしまった。またキャビン近くの席のせいもあったが、スチュワーデスコールが壊れてなりっぱなしでうるさいったらありゃしないっす。
だがしかし、日本からはるか離れたこーんな離島のサルデーニャのとある空港で日本で預けた荷物を無事受け取った時は、感動してしまった。まあ、よくもこんなところまでなくならずに無事着いたことだわあ、と思って。


サルデーニャ島には日本人にはなじみが薄いけどヨーロッパでは人気のリゾート、コスタズエメラルダという避暑地がある。避暑地なので秋・冬は「閉鎖」されている。ホテルもクローズするので訪れなかったけど、なんとも美しいネーミング。訳「エメラルド海岸」。


なんか先人の遺跡ヌラーゲとかも見学したけど、はっきりいって興味がわかない。どう転んでも、日本人観光客は100万年待ってもこないようなところ。3泊くらいしてから飛行機でシチリア島のパレルモへ。このパレルモへ移動する日に私はホテルのセイフティボックスにパスポートを忘れてしまい、わざわざ離団してとりに戻った。といっても1人きりじゃなくって、現地の観光局の人と一緒に。旅行会社の社員として研修に来ているのにパスポート忘れるなんて、情けなさの極みで泣きそうになった。それなのに、私は懲りずに毎回旅行の度にいろいろ忘れ物をしてきてしまうのだった。ビザやら携帯やらカサやら・・・。友達曰く「ビョーキちゃう?」


シチリア、といえば形容詞は「陽光輝くリゾート地」と決まっている。実際私もそんなイメージだったのだけど実際は、一言でいえば、シチリア島は歴史ある深い趣のある島である。タオルミーナやアグリジェントは言うに及ばず、パレルモでさえギリシャあたりで見かけそうな(行ったことないけど)古い建造物が建ち並ぶ荘厳な街並み。夜の街灯がナトリウム灯(トンネルとかに灯されてるあのオレンジ色のやつ)なので大理石っぽい建物の白い石がやわらかいオレンジ色のライトで闇にぼおっと浮かび上がる。そして広場では大きな噴水。きゃー、雰囲気満点だわあ。


でもそんなロマンチックな夜とは裏腹にシチリアの町はコワイ。まずマフィア。裁判所と刑務所は隣接しており、しかも両者は地下通路でつながっているらしい。なぜってそれはマフィアのボスが護送されてる間に襲撃されるのを防ぐためとか・・・(冷や汗)。そして裁判所の天井は爆撃にも耐えるように作ってあるそうデス。マフィアに空爆されてもダイジョブなようにだって!!ひーっ。
そして次に交通マナーの悪さ。道路という道路に車がびっしり縦列横列違法駐車。信号待ちしてんのかと思うような堂々たる駐車ぶり。車社会に育った私達でさえ道を横断するのにおたおたしてしまう交通量の多さとマナー違反。ここでは、はねられる方が悪いのだ!しかも、「信号が青でも、ぼーっと渡ってはいけません」とガイドさんから注意を受けた私達。「判事を乗せた車の列は信号赤でも止まりませんから。だって赤で停まってる間に狙撃されたらいけないから・・・。事実、去年判事が狙撃されて亡くなりました。」
私達は「・・・・・・・・」固まってしまいました。いい年した大人達がみなかたまって遠足のように団体行動したことはいうまでもないっ。「早く日本に帰りたいよう。」


パレルモとモンレアーレを観光したあと、カターニアへ。カターニアからもう少し南に行くと、活火山エトナ山がある。100年に1度だか噴火するそうで今年あたり噴火しそうだ、と言われたものだから「行ってる間に噴火したらどうしよう・・・」などと密かに思いながら雪に覆われた山を踏みしめる。結局帰国後2ヶ月くらいしてから噴火した。「あっ、ここ私この前行ったのよお!」と家族に自慢しまくった。「(だからどうやねんなあ・・・)」by家族(多分)


拍手する

1998.09.
13
日曜日

韓国

1998.9.13-17
社会人になって初めての夏休み!
学生の頃に比べたら昼寝するヒマもないくらいちょっとだけど。
ソウル、慶州、プサンを周遊。いそがしい~。


入社して3ヶ月して、やっと有給(有休?)を取得した。
で、早速旅行だよお。なんたって旅行会社にいるんだから!というわけで同期と2人して突然韓国行きを決定。土・日を含めて5日間バックパッカーの旅。

全日空171便9時25分関空発。は、はやい。国際線は通常2時間前にチェックインするから7時半には関空に着くようにいく。ためには大阪府下にすんでいても6時前には自宅をでなくてはならない。日本には大きな国際空港は成田と関空しかないから、朝便でも当日出発できる大阪に住んでいることをちょっとラッキーに実感しちゃったりして。


行くからには見尽さなくて気がすまない一ヶ国周遊型がモットーの私たちは、5日間にもかかわらずソウル・プサン・慶州をまわる計画をたてた。うちの会社は全日空を主に使っているので、少しでも安くあげようとキャリアは全日空に決めていた。おのずとルーティングも限られてしまう。関空~ソウルの往復しか飛んでないからね。ガイドブックを2人別々のを携えて、あーでもないこーでもないと考えたあげく、関空からソウルへ行き、そのまま乗り継いでプサンまで行く。プサンで1泊、プサンからソウル行きの夜行列車で1泊、ソウルで2泊した。

プサンの1泊だけ日本で手配してもらい、ソウルからアシアナ航空ノーマル(普通運賃)を買って行った。ノーマルといっても国内線は5000円くらいと日本とは比べられないほど安いのである。プサンのホテルはコモドホテル。はっきりいって外見で選んだ。このホテルは外見がなんとゆーか、私たちが思い描く中国チックでありながら韓国チックなのだ。決して高くないし室内もおちついたかんじでとても感じよかった。
チェックイン後、早速観光に出掛けそこで日本語を勉強中という学生と先生に出会い、遊園地とごはんを食べに連れていってもらい、最後はホテルまで送ってもらってしまった。韓国の男の人は女の子にお金を出さすことなんて、とんでもないそうである。お酒の席でもおんなの人が酒をつぐのははしたないとのこと。日本よりずっと西欧化というかフェミニストな国なんだなと感じた。


慶州へはプサンからバスで日帰り。韓国は漢字よりもハングルにあふれた街で、さっぱり区別のつかない私達は目的地のバスを探すのも大騒ぎである。
慶州では、世界遺産仏国寺へ。そのあと少しうろちょろしたらあっとゆーまに夕方。慶州には韓国人の修学旅行生も大勢訪れていて、日本でいうところの京都みたいなところらしい。慶州からバスでプサンへ戻り、その足でソウル行きの夜行にのる。夜行といっても寝台ではなく、座席なので早朝ソウルに着いたときには、もう疲労困ぱい。ホテルをさがそうにも、インフォメーションが開いていない。7時ごろやっと開いたので、早速ホテルを漁る。すでに2冊のガイドブックを読み漁って目星をつけていたのでハナシは早い。


ホテルを決めるとき重視するのはやっぱり立地。次に予算。韓国なんかは、日本より物価が安いので現地では高級にランクされているホテルでも比較的リーズナブルに泊まれたりする。今回私たちは、思いっきり中心地のホテルロッテのとなりにあるプレジデントを紹介された。考えていた予算よりは少し高いけど、翌日予定していた板門店へ行くオプションの出発がホテルロッテだったし、空港行きのリムジンバスもロッテから出発するということ、なにより今(早朝)からチェックインさせてくれるというのでプレジデントに即決し、というか私の同期はさすがにベンチでへたりこんでいたので、私がゴーインに話しをまとめてホテルへ向かった。ホテルへ向かう道すがら、荷物の重く感じることといったらない。部屋へ入るな否や、時間がもったいないから、といいながらも知らないうちに寝てしまっていた。



昼頃になって生き返ったように元気になった私たちは観光にでかける。その前に腹ごしらえ。自由旅行で海外へ行くと一番困るのが食事。英語圏以外では、レストランのメニューが読めないし、ウェイターが何ゆってるのかもわからないのでレストランにはめったに入れない。そういう時活躍するのが、ファーストフード。マクドとかケンタッキーとかは必ず英語でも併記されているし、世界中そう料金にも味にも大差ないから安心。それからアジアの場合、デパ地下という手もある。そう食料品街である。パン屋さんあり、ファーストコートあり、でけっこう安くてその国の人気あるメニューが食べれたりする。私たちはこの法則を帰国前夜に知ったので、韓国ではためせなかったけど、これから行かれる方にはおすすめ。


翌日は板門店のオプショナルツアーへ参加。板門店は軍事上重要なものなのでさすがに警備も厳しく、個人では行けない。もちろんパスポート必携。ビデオや写真撮影も制限されている。道路には歩道橋のような凱旋門の飾りをとったような形のコンクリート固めの建造物が決まった間隔ごとに設置されている。これは北朝鮮が攻めて来た時、戦車の行く手を阻むために爆破するためのものだという。ひえええええ。



ついでに言えば、韓国では徴兵制がある。20歳になったら男性はみな徴兵のテストをうけ、合格したら2年の軍隊訓練に参加する義務があるという。大学も中断して、である。テストに落ちたら行かなくてもいいのだが、それはすなわち即人生からこぼれおちることを意味するそうだ。就職もできないし結婚もできない。多分軍隊訓練の成果なのだろう、韓国の20代半ばくらいの男性は一様に背は高くないががっしりしているし、頼もしい。精神的にも肉体的にも鍛えられていると感じた。韓国には終戦はまだないのだ。平和そうに見えるけど、それはただ休戦中なだけで、いつ戦争になってもおかしくない状態なのだそうだ。平和な日本に生まれ育った私達にとってその事実は衝撃だった。板門店なんかで警備にあたる兵士はやはり精鋭ぞろいのエリートだそうである。外見はおっかなそうだけど、中身は私達とまったく年のかわらないおとこのこ達が、国家のため?義務を果たすその姿は印象的だった。日本の男性諸君にも見習って欲しいものである。「おまえに言われたくないわいっ。」


拍手する